鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

おだやかな曇り空 つぎは「海辺のカフカ」

 今日のお天気は、おだやかな曇り空。

 調子があまりよくなくて、ベッドで休んでいる時間がおおいいち日だった。少し残念……

 夕方に出かけたお散歩は、いつものコースを途中でショートカット。

 三島由紀夫奔馬』を読み終えたので、つぎに読む本をどうしよう、と思っていたのだけれど、村上春樹海辺のカフカ』を読むことにした。

 つまり『春の雪』→『アフターダーク』→『奔馬』→『海辺のカフカ』→『暁の寺』の流れです。あいだに村上春樹をはさむことで、わたしの精神をリセットしつつ、三島由紀夫を読みすすめてゆこう。

―― † ――

 『奔馬』について少しだけ……

 『奔馬』には「神風連史話」という物語(書物)が出てくる。小説の主人公、飯沼勲は、その本にとてもつよい影響を受ける。

 「先月友だちにすすめられて買った本で、もう三回読み返しました。こんなに心を搏たれた(うたれた)本はありません」彼のその言葉とは反対に、わたしはここを読むのにえらく時間がかかったよ……

 そして、この『奔馬』を読み終えてこんなことを思った。もし、彼の友だちがすすめてくれたのが「神風連史話」ではなく、別の本だったら、その後の彼の人生はどうなっていただろう?

 たとえば、それが『海辺のカフカ』だったら、どうだっただろう(本を読む彼の目が点になった?)。あるいはもっと現実的に(小説の時代背景に矛盾しないという意味で)彼の手にした本がドストエフスキーの作品だったら、どうだっただろう。

 わたしが密かに愛している作家、安部公房の言葉を引用しておこう。

 とつぜん閃光のように四十三年前の冬の記憶に結びつく。昭和十六年十二月八日、日米開戦の日だ。当時は日本も聖戦の最中だった。そしてぼくはドストエフスキーとの出会いに夢中になっていた。(……)

 (……)ぼくにとって切実なのは、『カラマーゾフの兄弟』の第二巻が、すでに誰かに借りられてしまっているのではないかという懸念だった。日米開戦のニュースのほうが、むしろ遠い世界の物語のように感じられていた。

 きびしい思想統制の中で、それ以外の思想が存在することさえ教えられずに育った十七歳のぼくにとって、あの懐疑主義はたまらなく新鮮なものだった。一切の帰属を拒否し、あらゆる儀式や約束事を踏みにじり、ひたすら破滅に疾走しつづける登場人物たちは、どんな愛国思想よりも魅力にあふれた魂の昂揚として映ったのだ。

 今夜はこんなところです。

 

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