鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

フランシス・ベーコンの絵をたまに見たくなる

 今日はよいお天気。

 気温はわりとあたたか。

 予定している読書の順番でいうと『海辺のカフカ』を読んだつぎは、三島由紀夫暁の寺』なのだけれど、そちらの方向へとすすんでゆく気がしない。どうして?

 いま、わたしの机の上に置いてあるのは『フランシス・ベイコン 肉塊の孤独』(評伝)。この本をぱらぱらと読んでいる。

 フランシス・ベーコンの絵には不思議な魔力がある。

 ベーコンの絵は、わたしにとってあまり頻繁に見ていてはいけないと思わせる絵。でも、年に数回、わたしはその絵が無性に見たくなる。心臓をいくらかどきどきとさせながら、わたしは手にしたベーコンの画集をそっと開く。そうそう、これこれ…… 奇妙にゆがんだ人物たちに視線をさまよわす。そのようにして見つめる彼の絵は、わたしのこころをけっして裏切らない。

 それから、彼の放つ言葉も好き。

 第一章「薔薇の激しさ」から、少し引用してみよう。

 要するに彼は、外部のこのうえなく強烈な光によって生じた影の方を好んだ。「生をほんとうに愛するのなら、いつも死の影のなかを歩いていかなければならない……死は生の影であり、生に執着すればするほど死にも執着するわけだ。おれは生にたいして貪欲だよ、アーティストとして貪欲なんだ」

 素敵。

 今日はこんなところです。

 

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