鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

不思議の国の猫さん その名前は…

 今日もよい天気のいち日だった。

 不思議な猫さんのお話。

 『海辺のカフカ』にも、たくさんの猫さんが出てくるけれど、これはなんというか、あまり不思議じゃない。

 不思議な猫さんといえば、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫が有名? でも、わたしのなかには、もういっぴき不思議な猫さんがいらっしゃる。

 その猫さんについての詩「白い猫 黒い猫」(こちら)を数日前に書いた。この猫さんの名前、分かるかな?

 ヒント――「研究室」という言葉に注目。それから、この「密室」には猫さんが2匹暮らしているように書かれていますが、実際に部屋の扉を開けてみたら、そこにいる猫さんは1匹です。

 分かりました?

 答え――そうです、この猫さんは「シュレーディンガーの猫」さん。

 知らない? 

 じつは、わたしもこの猫さんについて詳しくは知りません(この猫さんについて詳しく記述することは、わたしの言語能力では無理なので、詳細をお知りになりたい方はネットの検索、図書館等でお調べいただけたらと思います)。

 わたしがこの猫さんの存在を知ったのは、15歳の頃のことだった(その経緯については長い話になるので省略)。

 この猫さんは量子力学の話のなかに出てくる。そこで語られる言葉や数式はとても難解。でも、わたしにとって、そんなことはたいした問題ではなかった。それはアルチュール・ランボーの詩のように、わたしのこころに響いた(ような気がする)。

 いっぴきの猫さんのなかに〈生〉と〈死〉と〈未来の運命〉があった。その未来は〈生〉でもなく、〈死〉でもなく、〈生〉や〈死〉と呼ばれるものすべてを含んだ何かだった。そこでは〈生〉と名付けられたものと、〈死〉と名付けられたものとが、互いに干渉しあい、戯れ、夢見るように憩っていた……

 思春期と呼ばれる年代は、いくらか不可解なもの。その頃、「未来」という言葉は「可能性」という言葉とよくセットにされて語られていた。でも、わたしはそこにほんの少しの魅力も感じなかった。かわりにわたしは、シュレーディンガーの猫さんを愛した。

 今日は、分かりにくい話してるかな? あのとき言葉で語ることの出来なかった何かを、いまの言葉で語ってみたかっただけです。

 わたしが量子力学の本(初心者向けの本)を少し読んで、いまもこころに残っている言葉を紹介しておこう。誰が言ったのかは忘れてしまったけれど、それはこんな言葉。

 量子力学は、不完全ではあってもとても強力な何かです。

 だそうです(これは詩や小説にも、そのまま当てはまる言葉だと思う…)。

 それにしてもシュレーディンガーの猫さんは、どうしてそこに〈生〉と〈死〉を与えられたのだろうね。お話の上だけなら、1/2の確率でご飯が出てくる設定にして〈満腹〉猫さんと〈空腹〉猫さんでもよくはないだろうか?

 謎は好き、不思議も好き。それでは皆さん、ごきげんよう……

 

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