鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

目覚める直前 声がわたしに届けられた

 今日のお天気は、しっとりとした雨降り。

 気温はずいぶんとあたたかい。

 今朝、わたしにとって、うれしいことがあった。そのことについて書こう。

 わたしのこころは、やや不安定なところがある。ちょっとしたことをきっかけにして、こころが混乱してしまう。この状態は、言葉での説明はむつかしいけれど、なんともいえずつらい……

 つい先頃、そんな不調に陥ってしまった。その後は、ゆっくりと回復していたけれど、いままでの経験から、いつもの感覚に戻るまでは、まだまだ時間がかかりそうだった(たぶん1ヵ月くらいはかかると思っていた)。

 自分のこころをよい方向に持っていきたかったので、ブログに猫さんの記事を写真入りで書いてみたり、ランボーの詩について語ってみたり、いろいろやってみたけれど、なかなか上手くいかない。猫さんはたしかに可愛い。それは、わたしのこころを慰めてくれる。でも、それだけというところもある(それ以上のことをぼくたちに期待されても困るってことは分かっています… ありがとう猫さんたち)。

 それでも人生というのは、ときに思いがけないことがおきる。今朝目が覚めたら、自分のなかのスイッチが切り替わった感覚があって、ぐっと気分がよくなっていた。こんな経験は、はじめて。よかった!

 そのきっかけとなったのは目覚める直前に聞いた、夢のなかの言葉だった(と思う)。誰の言葉だったかというと…… そう、わたしの夢に、ちょくちょく出てくださる村上春樹さんの言葉です。

 目が覚めてすぐにその言葉をメモしたので、ここに書き写しておこう。

 夢のなかの村上春樹さんの言葉。

 「知らなければ、そのことに影響を受けることもない。そのころの僕はローマに住んでいた。だからそのことについてはまったく知らなかった。これは幸運なことだったと思う」

 「そのころの僕はたくさんの文章を書いていた。そのひとつひとつについての詳細は覚えていない。でもそれらの文章は僕が書いたという意味で、みんなそれぞれ少しずつ僕の一部だということはできるかもしれない」

 おおよそこんな感じ(これは、あくまでもわたしの夢のお話です)。映像は全くなくて、ぼんやりとした暗い闇のなかから、その言葉だけがわたしのもとに届けられた。

 この言葉について、あれこれ分析することも出来るけれど、いまはやめておこう。この言葉を聞いてわたしのこころが回復した、それがすべてだと思う。これでいいんだよね? わたしにとって夢は体験であり、現実とは別の、もうひとつの大切な記憶。

 ではあるけれど(と話はつづく)、この夢の言葉をいくらか補足する意味で、この夢を見る前に見た、もうひとつの夢のことを、少し書いておこう。

 その前日、わたしはなにか他の夢を見ていた。わたしのなかにその感覚がつよく残っている。でも、その内容をどうしても思いだせない。夢の記憶はないのに、その感覚だけがわたしのなかに、くっきりと残っていた。そして、その感覚はけっして気持ちのよいものではなかった。その夢は、わたしにとってよくない夢だったような気がしている。

 そのなにかよくない夢を見終わったとき、わたしのこころは、ぞわぞわとしていた。そして、翌日の夢のなかで「こころがぞわぞわするよ。これはよくない兆候。怖いな…… いやだな……」と思っていた。

 そう思っていたところに、あの村上春樹さんの言葉が届けられた。わたしはその言葉を聞いた。そして目を覚ました。目を覚ましたとき、昨日までとはうってかわって、とてもよい気分になっていた。

 夢って不思議。夢ってありがたい。

 ※ この記事は、夢のことについて書いていますが「夢の話」のカテゴリに含めるのは少しちがうような気がしたので「日記」のカテゴリとしました。

 

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