鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

ヘルムート・ニュートン 与えられたもの

 よい天気がつづきますね。

 明るく晴れた青空も、また美しい。

 こちらの調子は、いくぶん不安定。まあ、こんなものかな……

 「フォトショップで遊んでみた」を書いたとき、カテゴリーに「美術」をつけ加えた。写真家へのインタビュー集『写真の真実』(トレヴィル)から、ヘルムート・ニュートンの語りを引用してみよう。

 このインタビューがおこなわれたのは1986年、インタビュアーはフランク・ホーヴァット。

 僕は与えられたものを受け取るだけだ。作者としての思い上がりはみじんもないし、「シャッターを押したのが僕だからこれは僕の写真だ」と言いはしない。銀行の自動カメラがとらえた強盗の写真ほど面白いものがあるかい? これこそ人生だ。一匹の犬がやって来てモデルの脚に小便をしたら、そのままやらせて、シャッターを押す。

 あらま……

 僕は「おい、犬っころ、こっちへ来て、このお嬢さんの脚に小便をひっかけてくれ」とは言わなかった。でも犬がやって来て小便したら、シャッターを押す。そしてこの写真は僕のものだ――犬のものじゃない。僕がカメラを三脚に据え、カメラの前に立ち、ある瞬間にシャッターを押すよう助手に言いつけ、助手がシャッターを押す。でもこれは僕の写真だ。前もってポラロイドを使ってすべてを入念に調節しているんだからね。

 なるほど……

 もし小石が一個空から降って来て、助手がシャッターを押す瞬間に僕の頭に当たり、僕が死んだら、実にすばらしいじゃないか? それこそ神様からの贈り物だ。でも僕が起き上がり、写真を見たならば、驚きはもっと神がかりになるだろう。いうことなしだよ。そして、石を投げてよこしたのは神様だから、僕はこの写真を拒みはしないだろう。

 素敵、素敵。

 よい作品をつくっている人の語りは、読んでいて楽しい。言葉がひらかれていて、大きな世界とつながっている、そんな印象がある。

 引用しっぱなしの感もありますが…… 最近、言葉で考えるのがつらいので、こんなところです。

 

広告を非表示にする
鞠十月堂