幸せな夏 「1Q84」を読み終えた《4》
今日も明るい太陽の照りつけるいち日だった。
暑い…… 部屋にやんわりと冷房を効かせてすごした。
よかった!
村上春樹の作品を長いこと読みつづけてきたけれど、こんなにうれしいことはないなあ、と思った。
昨日の記事に「ふと思いついてマーラーの交響曲第4番を聴いた」と書いた。この4番の交響曲には天国的な軽やかさと、神話の世界を夢見ながら漂うような幸福感がある。マーラー直系の指揮者ブルーノ・ワルターは「マーラーの第4交響曲はお伽噺である」「天上の愛を夢見る牧歌である」と語ったという。
『1Q84』は、もちろんそのようなお話ではなくて、そこにはたくさんの暴力(精神的な暴力も含む)や、まったくロマンチックではない死が描かれている。でも「BOOK3」で、川奈天吾と青豆雅美が児童公園の凍てついた滑り台の上で出会い、お互いの手を無言のまま握り合うとき、この物語はわたしたちの暮らす現実の世界のメタファーとしての役目を終え、お伽噺になった。わたしには、そのように思われた(タマルが「とてもロマンチックだ」と青豆に言ったように…)。
(わたしがあのとき、マーラーの四番の交響曲を聴いたことは間違ってはいなかった、その予感は成就された…)
よかったな…… (青豆が「BOOK2」のリーダーとの会話で「天吾くんは、私が彼のために死んでいったことを、何かのかたちで知ることになるのでしょうか」などと言うから、最後の最後まで心配したじゃないか… この台詞の有効期限は「BOOK2」で切れてる?)
ふたりは『1Q84』の世界を共に抜け出す。
村上春樹の書く小説に、このような日が訪れようとは……
この結末はなにも『1Q84』だけの結末にとどまらない気がする。村上春樹の作品は、それぞれが、それとなく関連を持っている。これは、その「長い長い物語」の結末でもあると思う。そして、この結末には新しい物語への予感がある。それは『1Q84』の設定を引き継ぐものかもしれない(そのための伏線はたくさん用意されている)。あるいは、まったく別の設定が用意されて、あらたな物語として語られるのかもしれない。
つぎの作品を楽しみに(そして気長に)待つとしよう。
それから、この作品に使われている文章も素晴らしかった。そこにある(見えている)物語から、素早くお話を組み立て、展開してゆく文章とでも言えばよいだろうか。
マーラー交響曲第4番「大いなる喜びへの讃歌」の歌詞をちょっとだけ紹介して、この記事を終えよう(歌詞の訳は深田甫)。
Die englischen Stimmen
Ermuntern die Sinnen,
Daß Alles für Freuden,
Für Freuden erwacht.天使たちの歌声が
五官のすべてを醒ますので
なにもかも 喜びのため
喜びのために 目を覚ます
素敵、素敵。