鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

思い浮かぶ ということ

 今日のお天気は、晴れたり曇ったり。

 あいかわらず寒いけれど、ずっとこの寒さなのかな?

 朝、目覚めたときのこと、いま取り組んでいる創作(長い小説です)について、おおきな進展につながる(と思われる)着想を得た。

 こういうのは、ちょっとうれしい(なので、そのことに関係したことを、このブログにも書きとめておこう)。

 この作品は、かれこれ3年くらい、こつこつと書きすすめている(いま原稿用紙換算で420枚くらい)。おおよそのストーリーの展開は最後まで見えているのだけれど、その細部(実際に何が起こるのか)は、このわたしにもよく分からない。このような作品は書いていて楽しい。なにか、わくわくするものがある(自分で分かっていることだけを書いてもつまらない…)。

書斎の聖ヒエロニムス

 この物語はまったくのフィクションだけれど、その世界は、わたしのなかで、とてもありありとしている(ある意味、その世界はこの現実の世界よりもリアルに感じられる)。

 わたしはお話を書くとき「思い浮かぶ」こと、そこに「見えている」ことを軸にして書いてゆく(書いたあとで、これは背景に押し込めた方がよいと思えるものは削ったりもする)。自分が思い浮かべたことを起点にして、会話やエピソードを積み重ねることによって、直接語ることの出来ない「何か」が物語の背後から浮かび上がってくる。

 というようなことを考えつつも、「思い浮かぶ」ことには、誤差(?)のようなものがあり、思い違いのようなことが起こることもある。そのようなときは、なんかちがうなぁ~ という気がして、お話が止まってしまう。いろいろと書き直してみても、どうもしくっりこない…… (そのような状態が数ヶ月つづくこともある…)

 このようなとき、わたしは「いまは無意識が仕事をしている時間」と、思うようにしている。無意識は意識的な操作よりも、より深い場所からお話をすくい上げて(サルベージ)してくれる。でも、それは場合によっては、とても時間のかかる作業だったりする。

 創作は待つことなのだろう。安易に書きすすめてしまうことは、慎まないといけない(いちど間違った道にすすんでしまうと、本来すすむべきはずの道を再び見つけることは、とても困難な作業になる)。そのように書きすすめていけば、その作品は少なくとも、それを書いている本人(つまりわたし)にとって、おおきな意味を持つものになる。いまのわたしは、そのように考えている。

 

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