ドストエフスキー 「悪霊」《3》 登場人物たち
ドストエフスキー『悪霊』《2》からのつづき(1回目と目次はこちら、このシリーズは全7回です)。
『悪霊』(江川卓訳)の上巻を一昨日読み終えた。
途中にお休みをはさみつつ、ノートをとりながらのゆっくりとした読書だったけれど、もう半分読んでしまった…… という気がしなくもない(このお話の雰囲気が好きなので、全10巻くらいあればいいのにと思ってしまう…)。
わたしの好きな登場人物たち
上巻を読み終えての感想を簡単に書いておこう。
ドストエフスキーは、お話のすすめ方と会話がやはり上手いなあと思う。いろいろなエピソードを緻密に積み重ねつつ、そこからやがて、おぼろげに全体像が見えてくるストーリーの展開はわたしの好み。
登場人物はそれぞれに個性的で独特の存在感があるけれど、あえて順位をつけるとこんなふう……
- ステパン氏
- マリヤ(レビャートキナ嬢)
- スタヴローギン
- ワルワーラ夫人
- その他のそれぞれに個性的な皆さん
(上巻を読み終えたところでの暫定順位)
『悪霊』でのステパン氏はどちらかというと道化役だろうか。人物の造形に奥行きがあって、登場人物のなかではいちばんリアリティを感じた(彼とくらべるとスタヴローギンはややつくりものぽいキャラという印象…)。ステパン氏は感情の表現に味わいがあって、どこかしらかわいくもあり、妙にこころひかれます……
マリヤ(レビャートキナ嬢)は、その描かれ方がわたしの好み。精神に問題のある彼女に「神さまと自然はひとつのものでございます」と言わせたりして、ドストエフスキーは誰にどんな台詞を言わせたらよいかよく分かっているなあと思った。
追記:文庫本の解説によると、マリヤは「ロシアに伝わる聖母信仰を象徴するような人物」ということらしい(なるほど…)。
スタヴローギンには、普通の人には持ち得ない精神の奥深さのようなものを感じた。でも、それをどのように言ったらよいのかは、よく分からない…… 彼の本質は、現実の人間のリアリティとは少しちがうもののような気がしているけれど、どうだろう…… (下巻を読み進めればいろいろ分かってくるのかな?)
ワルワーラ夫人のようなキャラは、じつはちょっと好きだったりする。「私」によると「彼(ステパン氏)の人生のコースを狂わせた真の原因」は彼女にあるということらしいけれど、そんなにわるい人じゃないよね(ちがう?)。わたしは彼女のことを憎めないな…… (と言いつつも、彼女のような女性が近くにいたらとても迷惑しそうではありますが…)。
昨日から『悪霊』の下巻を読みはじめた。こちらもノートをとりながら、ゆっくり読んでいこう。
- 次回 「悪霊」《4》 語り得ない言葉
- 前回 「悪霊」《2》 真実と永遠