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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

ドストエフスキー 「悪霊」《5》 ステパン氏差押え

ドストエフスキー

 ドストエフスキー『悪霊』《4》からのつづき(1回目と目次はこちら、このシリーズは全7回です)。

第2部を読了 「ステパン氏差押え」

 先日、『悪霊』(江川卓訳)下巻の第2部を読み終えた。前回の記事を書いてから、ずいぶんと日にちが経ったなあと思って確かめてみたら、かれこれひと月近くがすぎていた(あらら…)。

 つまり、第2部の残り50ページほどを読むのに1ヶ月近くかかったことになる。わたしの読書は気分のスローペースだけれど、これはさすがにおそすぎ……

 ここ最近、いろいろと忙しかったということもあるけれど、それよりもこのお話への興味をいくらか失ってしまったのが、その原因かなあという気がしている。第2部、第8章のあとに「スタヴローギンの告白」を読んだのは、あるいは失敗だったかもしれない(とも思う)。

 「スタヴローギンの告白」は、いま思い返してみても印象深い章だった。目に見えないつよい力でこころがよじられてゆく感覚があって、言葉と言葉のあいだから、言葉では語り得ない何かをしぼり出そうとするような、すごみがあった(そのあたりのことは《4》を参照)。

 それを読んだ後で、第9章「ステパン氏差押え」を読むと、そこに描かれているものが、妙に水っぽく感じられてしまう…… 文章にドストエフスキーらしい熱気や密度感が、いまひとつ感じられない(わたしの印象です…)。よって、先を読みたいという、こちらの気持ちもいつのまにかしぼんでしまう。

 「スタヴローギンの告白」には、当時の編集長カトコフが『ロシア報知』への掲載を断ったため『悪霊』に組み込まれなかったといういきさつがある。そのため、ドストエフスキーは『悪霊』の連載を中断(約10ヶ月)して、その構成を大きく変更することになった。第9章がいまひとつの印象なのは、そのあたりの影響もあるのだろうか(どうだろう…)。

 ドストエフスキーが「スタヴローギンの告白」を組み込んだ形で『悪霊』を完成させていたらどうなっていただろう、というのはやはり気になる。第2部にその章が組み入れられたとしたら、第3部はそれをさらに展開する内容も含まれるはずだから、そこでの「すごみ」も、よりいっそう増してくるように思われる。ドストエフスキーは、さらなる険しさを求め、物語の岩山を登ってゆく……

 と、わたしの空想は尽きないけれど、では実際に書かれた第3部はどのような仕上がりなのだろう? ドストエフスキーは「スタヴローギンの告白」の欠落を取り戻せたのだろうか……

 さあ、第3部への興味がわいてきた!

 3月頃には、このところのプチ多忙も落ち着いてくると思うので、これまで通りノートをとりつつ、じっくりと『悪霊』第3部を読んでゆこう。

 

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