鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

村上春樹 「海辺のカフカ」《3》 河合隼雄 元型

 村上春樹『海辺のカフカ』《2》からのつづき(1回目はこちら)。

 『海辺のカフカ』と河合隼雄の関係ついて語ってみよう。

河合隼雄の面影

 『海辺のカフカ』が発表されたのが2002年、その約7年前の1995年に村上春樹河合隼雄と『村上春樹河合隼雄に会いに行く』で対談している(他には『河合隼雄対話集 心の声を聴く』にもふたりの対談が収録されています)。

 河合隼雄ユング派のながれをくむ心理学者で心理療法家(日本ではじめてユング派の分析の資格を得た)。わたしは村上春樹を読みはじめる前から、河合隼雄の本をよく読んでいた(そのなかでも『イメージの心理学』は繰り返し読んだ… この本については、いつか語ってみたい)。

 『海辺のカフカ』には、河合隼雄との対談にでてきた話のあれやこれやがさり気なく組み込まれている(ような気がする)。第8章に出てくる塚山教授に、わたしは河合隼雄の面影を感じてしまう。

 第12章から、岡持節子先生(素敵なネーミング!)が塚山教授に宛てた手紙を引用しよう。

 折に触れて新聞や雑誌で先生のご高名を目にいたすますたびに、ご活躍ぶりに深く敬服し、当時の先生のお姿や、てきぱきとしたお話ぶりを思い出すことになります。(……)
 この世界における一人ひとりの人間存在は厳しく孤独であるけれど、その記憶の元型においては、わたしたちはひとつにつながっているのだという先生の一貫した世界観には、深く納得させられるものがあります。(……)

 ここにでてくる「元型」という言葉は、あまり一般的ではないと思う(普通の辞書には載ってない)。ユング心理学では、この「元型」という概念が重要な意味を持つ。

ユングの元型

 『イメージの心理学』から、ユングの「元型」について語られたところを引用しておこう。

 現代人の治療のなかに生じてくる、夢、妄想、幻覚やユングが開発した能動的想像などによって得られるイメージが、世界の神話・伝説・昔話などによく生じるものと著しい類似性を示し、それらは人に強烈な印象をあたえ、影響力を持つものであることを、ユングは見いだしてきた。(……)
 つまり、そのような類似のイメージを生み出してくる元型(archetype, Archetypus)が、人間の無意識内に共通に存在し、それが意識化されてイメージになるとき、その箇々の場合によって、それぞれ異なってはいるが、その元型としては同一のものを仮定し得ると考えたのである。

 「仮定し得る」という謙虚な表現がまことに素晴らしい。『海辺のカフカ』でも、塚山教授について「多くの日本人とちがって、曖昧な表現をしない。事実と仮説を明確に峻別する」とあるけれど、この洞察もまた素晴らしい(塚山教授が河合隼雄のイメージを織り込まれて書かれていると仮定した場合の話です…)。

 それから、細かいことを少々。岡持先生の手紙には「記憶の元型」と書かれている。これはやや分かりにくい表現だと思う。ここに書かれている記憶は、正確には人間の「無意識」(意識下の領域)のことなので、一般の記憶のイメージとは少しちがっている。

 村上春樹は「無意識」という言葉を使いたくなかったのだろうか。でも、出来ればもうひと工夫してほしかった。「その深い記憶のなかに宿る元型においては~」などという表現はどうだろうか。わたしには、こちらの方がしっくりくる。

 今日の予定では、この話をした後、引きつづき『海辺のカフカ』で語られている「生き霊」のお話をしようと思っていたのだけれど、ここまで書いて疲れてしまった。「生き霊」のお話は、またの機会にしよう。

 わたしはソファでひと休み…… チャオ!

 

鞠十月堂