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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「デンドロカカリヤ」《序1》 深い霧を切り抜けてゆくように

 今日のお天気は晴れ。

 9月になっても、まだまだ暑い。

 安部公房作品、新シリーズのための準備原稿(本編はこちら)。

次に取り組む作品は…

 8/28の日記に、安部公房『密会』シリーズの次にやりたい作品(その候補)について語った。決定というわけではないのだけれど『デンドロカカリヤ』(雑誌『表現』版 1949、書肆ユリイカ版 1952)に取り組んでみようかなあと思っている(暫定です…)(2012.9.27 追記:決定しました)。

部分(個別の作品)と全体(初期作品群)

 『デンドロカカリヤ』について、そこに描かれた各要素を解説的に語ることは(『安部公房全集』を丁寧に読み込めば)、それほどむつかしいことではないように思う。でも、『デンドロカカリヤ』をそのような「解説」だけで終えしまってよいものだろうか……  (いいえ、それだけではだめだと、わたしのこころが語っている…)

 『デンドロカカリヤ』のような初期の作品をよりよく語るためには(楽しむためには)、それを広い視野で眺める必要があるのではないか。つまり、それぞれの作品は大きな全体(詩やエッセイを含む初期著作群)の部分として存在しているのだから、それら部分(個別の作品)は全体のなかで詳細に意味づけられ語られるのが好ましくはないか。

 作品を全体から切り離して近視眼的な視点だけで読んでしまうと、作品の背後に隠れている物語(隠された主題)を見逃してしまう可能性がある。全体から眺めることで、物語の深層=隠された主題への足がかりを見つけることも出来るだろう(慎重な足取りで事件現場全体を検分する探偵のようになにひとつ見逃したくない…)。

戦後 深い霧 国際的作家の誕生

 『夢の逃亡』(戦後まもない時期に発表された作品を収録した短編集)から後記(1968)を引用しよう。

 ここに収められた作品は、すべて昭和二十年代に書かれたものである。(……)当時の私は、濃霧の中をさまよっているような状態だった。今でも、べつに霧がはれたと思っているわけではないが、あの時代の霧はまた格別だった。書くことによって、私はその霧を切り抜け、しかし書かれた結果については、どうでもよかったのかもしれない。あれは戦後だった。そして、私の青春の最後の数年だった。

 「あの時代の霧」を切り抜けようとするダイナミズムから、国際的作家安部公房が誕生したと仮定してみよう(「戦後が、私の作家としての出発点に重なってくれたことを、私はまれにみる幸運だった」と安部公房は語っている…)。

作品 1947-1951

 戦後まもない時期に書かれた作品群を簡単にまとめておこう。

1945――終戦(昭和20年)
1946――満州から引き上げ
1947――無名詩集 終りし道の標べに
1948――名もなき夜のために 虚妄 薄明の彷徨
1949――デンドロカカリヤ 夢の逃亡
1950――三つ寓話(赤い繭 洪水 魔法のチョーク)
1951――壁─S・カルマ氏の犯罪 バベルの塔の狸 壁(単行本) 詩人の生涯 闖入者

 (作品の並びは文芸雑誌などに発表された順です。原稿に記載された年月日での並びとはいくらか異なります)

 このように書き出してみると『デンドロカカリヤ』(1949)は『無名詩集』(1947)から、初期の代表作『壁』(1951)のほぼ中間点に位置していることが分かる。『デンドロカカリヤ』は、青年安部公房が深い霧を切り抜けてゆこうとする過程のなかで、どのような意味(役割)を持つ作品なのだろう?

安部公房全集 第2巻

 『デンドロカカリヤ』がおさめられた『安部公房全集 第2巻 1948.6-1951.5』は、全集のなかで、もっともスリリングな一冊かもしれないと思っている。

 そこには青年期によくある独自表現(?)による難解さがある(いくらか読みづらく、なにがどのように語られているのか理解するのに時間がかかる…)。でも、辛抱づよくその声に耳を傾け、イメージを共有するように眺めてゆくと、突然、いくつもの情景が互いに分かちがたく結びつき、ひとつの世界としてわたしの前に立ち現れてきた(作家になるというのは、こういうことなのかもしれないとこころがふるえたときのあの感覚はいまも忘れられない…)。

 『デンドロカカリヤ』について語ってみたい。「コモン君がデンドロカカリヤになった話」をすべて語り終えたとき、わたしはそこになにを見ているだろう。

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