鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「デンドロカカリヤ」《序2》 リルケ

 安部公房『デンドロカカリヤ』《序1》からのつづき(本編はこちら)。

 準備原稿その2、リルケと青年安部公房

入口の模索

 『デンドロカカリヤ』シリーズは、どこを入口にして書きはじめるのがよいだろう。漠然とした予感はあるけれど、さあ書こうというほど、それはちからづよくわたしのこころに響いてはいない(もうしばらく時間が必要なのかな…)。

 『デンドロカカリヤ』は安部公房初の「変形もの」ということで、シュルレアリスムアヴァンギャルドの文脈で語られることがおおい。手法(作風)としては、たしかにそうだと思う。でも、わたしはそこを入口にすることにさほど魅力を感じない。わたしは『デンドロカカリヤ』をリルケからはじめてみたい。

 『デンドロカカリヤ』の手法(表現)にリルケの影響(面影)がないことは、リルケとの関係がないことを意味しない(リルケとの関係を非リルケ的手法で描くことも可能なのだから…)。コミカルな口調で語られた、それでいて残酷な結末を持つ「コモン君の物語」に透けて見えるリルケとの関係から『デンドロカカリヤ』シリーズを展開してみたい。

兵士と死と詩

 戦時下の安部公房(学生で行軍演習をしていた)はリルケの『形象詩集』や『マルテの手記』をこよなく愛していた。青年安部公房にとって、リルケの作品はどのような意味を持つものだったのだろう。

 兵士と詩の関係について、大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』から引用しよう(安部公房はインタビュー「破滅と再生 1」で「ぼくはこの世でもっとも不条理な死は兵士の死だと思う」と語っている)。

 様々な時代の、様々な地方の戦闘で、むごたらしくも斃れた兵士の背嚢からしばしば詩集が発見されるという報告はなにを意味するのだろうか? それは人間が、明瞭な意識をそなえたまま、眼前に自分の肉体=魂の詩を見つめるとき、自分がひとつの、あるいはいくつかの詩を内部にひそめたまま斃れるにちがいないと、はっきりみきわめざるをえないからであろう。

 兵士と死と詩について語られた(もうしぶんのない)、大江健三郎らしい文章だと思う。

 リルケについて語られた安部公房の文章を引用しよう(短編集『夢の逃亡』から後記より)。

 リルケというのは私にとって、じつは第二次世界大戦中のシンボルだったのだ。いま考えてみると、あのシンボルが意味しているものは、「死者の平和」だったような気もする。死となれあうために、私が選んだ、死の国への案内図だったのだ。

 ふたつの文章の大江健三郎「~であろう」と安部公房「~だったのだ」のあいだには、死と詩をめぐる越えることの出来ない距離がある(わたしにはそのように思われる)。大江健三郎の文章は(たとえそれがどんなに感動的な表現であろうと)文学の域を出るものではないだろう……

精神の自殺術と流れはじめる時間

 安部公房の精神の切実さが(愛すべき対象として)リルケの世界を求めていたのだと思う。エッセイ「リルケ」(1967)から引用しよう。

 あれは戦争中のことだった。『形象詩集』や『マルテの手記』……あのガラス細工のようなリルケの世界は、ぼくにとって、まさにかけがえのないものだったのである。(……)世界を拒み、世界から拒まれているような怖れのなかで、リルケの世界は、すばらしい冬眠の巣のように思われたのである。

 あの耽溺感を、今なら分析できる。リルケの世界は、時間の停止だったのである。停止というよりも、遮断といったほうが、もっと正確かもしれない。リルケはほとんど時間をうたわない。彼の眼には、純粋な空間しか映らないかのようだ。(……)実際に時間を遮断してしまえば、それは肉体の死だ。ニセの時間遮断で、死んだような気持ちになれれば、それで充分だったのである。

 リルケはぼくに、精神の自殺術を教えてくれた。おかげでぼくの肉体を、無事、生きながらえさせることが出来たのかもしれないのだ。

 参考:詩は瞬間が永遠であるかのような「非時間」をうたうことが出来る。小説で永遠=非時間を適切に組み込むこと(作品世界として描くこと)はむつかしい(ほぼ出来ない…)。

 やがて「苦痛の時代」は過ぎ去り、「ぼくもこわごわ、リルケ式冬眠の穴から、這い出すことにした」と安部公房は語る。

 そしてぼくは、いやでも発見させられてしまうのだ、時間が、流れ、たしかに存在していることを……

 流れはじめた時間のなかで(仮死から生への移行によって)、安部公房の愛したリルケは、ただ消えていっただけなのだろうか? ありがとうリルケ、さようなら…… 「そして、ぼくはリルケと別れる」ただそれだけのことだったのだろうか?

 そうではないと思う……

リルケ「鳥たちが横ぎって飛ぶ空間は」

 『デンドロカカリヤ』に関係していると思われるリルケの詩「鳥たちが横ぎって飛ぶ空間は」を引用しよう(新潮文庫リルケ詩集』富士川英郎訳より)。

鳥たちが横ぎって飛ぶ空間は
お前のために形姿を高めてくれる あの親密な空間ではない
(あそこの戸外では お前はお前自身にさえ拒まれ
絶えず消え去って もう帰ってくることもない)

 私たちの内部からひろがった空間が 事物[もの]を私たちのために言い換える
だから お前のために一本の樹を存在させるためには
樹の周りに内部空間を投げかけるがいい お前のなかに在る
その空間のうちから。そして抑制で樹をつつむがいい
樹は自分を限定しないからだ お前の諦念のなかへ移された形姿となって
初めて樹が真実の樹となるからだ

 詩人リルケは、ひとにとって外部にある〈もの〉を「内部空間」によって認識する。コモン君が植物になるとき、その顔は裏返しになり、それにあわせて「内」と「外」が入れ違いになる。それはリルケの「外界」を「内部空間」に転位させる手法(詩的世界の構築)を戯画的(反観念的)に表現したものではないのか。

 そのようにして見つけられた「真実の樹」とはなんだろう。そこが安部公房が指摘したような非時間の空間(事象)なら、それは、わたしたちの〈生〉とは隔絶した世界の「真実の樹」ということになる。安部公房は「リルケはぼくに、精神の自殺術を教えてくれた」と語った……

 作品としてどのように偽装しようと、デンドロカカリヤ(樹)になったコモン君が、リルケに耽溺していた頃の安部公房の似姿であることは疑いようがない(わたしのこころがそのようにわたしに語りかけている)。『デンドロカカリヤ』のあの(残酷な)結末は、リルケの世界を愛しつづけたもうひとりの安部公房の結末でもあるのだろう。

 そのようにリルケを埋葬することで、リルケの世界を愛していた青年安部公房は、作家安部公房としての道を歩みはじめる(作家として、かけがえのない作品を生み出すために!)。青年が作家になるというのは、そういうことだと思う。

 (これらのことは本編で、より詳細に語る予定にしています…)

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