鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「密会」《12》 仮面女

 安部公房『密会』《11》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物は《2》に、あらすじは《3》に書いてあります)。

 仮面女について語ってみよう。

仮面女は「ぼく」の妻?

 『密会』の物語は、ある朝突然、救急車で巨大病院に連れ去られた「ぼく」の妻を取り戻そうとする物語として読むことが出来る。では、前夜祭の怪しげなコンクール(オルガ○ムの記録を争っているらしい…)に出ていた仮面女が妻だったのだろうか?

 コンクールへの出場者は人形館、白鳥湖、津波女、マグマ、仮面女、火喰鳥の6名。掲示板の全裸写真を順に見ながら、「ぼく」は仮面女が妻かもしれないと思う。でも「顔だけマスクのように白く塗ってある」ため、確信が持てない。そんな「ぼく」のこころを見透かしたように女秘書が「これ、奥さんじゃないの」と訊ねる。

 するとやはり、前の〈仮面女〉が妻だったのだろうか。全身の毛穴から、無数の蜘蛛の子が這い出してくるような、いたたまらない気分におそわれる。一応の覚悟は出来ていたつもりだが、どんな覚悟もやはり現実には追いつけない。

 (簡素でありながら、皮膚感覚で「ぼく」の心理を的確に描写した、安部公房らしい文章が素敵…)

 副院長(馬)の説明によると、仮面女は「ずっとオルガ○ム寸前の状態がつづいている」らしい。それは「人格放棄からくる患者病なんだから、治療の対象にもならないし、治す必要も認められない」とのこと(『密会』の世界で患者になることの究極的な姿がここにあるとしたら、これほど怖ろしいこともないかもしれない…)。

 「ぼく」は怪しげなコンクール会場で、仮面女のすぐ間近までゆく。でもそこへ突入することなく、引き返してしまう(そこは突撃だろ! 信じる勇気だろ! と思わずいいたくなりますが…)。

 あらためて出直してくればいい。そう自分に言い聞かせながらも、半分は言い逃れにすぎないことをちゃんと自覚していた。ハーフ・ミラーを打ち砕いて突入して行くことだって出来たのだ。(……)理由は自分でもよく分からない。それとも分かろうと努力しなかっただけだろうか。

 この状況では、仮面女が「ぼく」の妻であっても、妻でなくても、どちらともが悲劇になってしまう(と思う)。ここでの「ぼく」の行動(選択)は、そのような悲劇を回避しようとする心理のあらわれだったのかもしれない。

 仮面女の正体は彼女の「屋号」そのままに、最後まで分からない。

神話の構造

 『密会』の物語世界では、仮面女は正体は不明のままだけれど、安部公房の談話やインタビューを読むと、仮面女が「ぼく」の妻として描かれていた(デザインされていた)ことが分かる。インタビュー「都市への回路」から引用しよう。

 書くときはほとんど意識していなかったけれど、書き終わってフッと気がついたら、ギリシャ神話のオルフェの話ね、あの構造にひどく似ているじゃないか。つまり、ああいう神話の構造自身の中に読むという衝動を掻き立てる原型があるんだよ。

 なるほど…… (神話の構造は、たしかに魅力的だと思う…)

 オルフェウスのお話は皆さんもよくご存知ですよね。毒蛇にかまれて死んだ妻(エウリディーケ)を連れ戻そうと、冥府(黄泉の国)に赴くオルフェウス。「地上に着くまでは、後ろを振り返らない」という約束のもと、妻と共に冥府から出てゆく機会を与えられたのに、まさに光が見えたそのとき、不安に駆られオルフェウスは後ろを振り返ってしまう。それが妻との最後の別れとなった。

 その後、オルフェウスはエウリディーケを悼むあまり、他の女性を顧みなかった。そのため女たちに恨まれ、デュオニソスの祭で狂乱して理性を失った女たちに殺されてしまう。

 オルフェウスと「ぼく」の結末については、

 デュオニソス――豊穣と葡萄酒(酩酊)の神――不定型な混沌――『密会』の物語世界

 と考えると分かりやすいだろうか(ちなみにオルフェウスの語源はラテン語のorbusからで「見捨てられた人」「孤独な人」の意味だそうです)。

 追記:オルフェウスの死については、ここでご紹介した物語のほかにもいろいろな伝説があるみたいです。

 『密会』がオルフェウスのお話の構造に似ているということは、いざなぎ・いざなみのお話にも似ているということになるかもしれない。いざなぎは黄泉の国で、いざなみとの約束をやぶって、いざなみのことを覗いてしまう。それは醜く腐敗したいざなみの姿だった……

 なんといいますか…… 「ずっとオルガ○ム寸前の状態がつづいている」あられもない姿を夫に見られるというのは、わたしの心情としてはやりきれないものがある。たとえこのふたりが病院を抜け出したとしても、いままでどうりの夫婦生活を営むことはむつかしいという気がする(そのように考えると『密会』って、ほんとうに救いのない物語だなあという気がしてくる…)。

構造を逸脱するように

 『密会』には神話の構造がある。でも、これが神話的構造をもった「夫婦」の物語かといえば、やはりそれは半ば背景に押し込められたイメージということになると思う。結局のところ「ぼく」は仮面女(妻)ではなく溶骨症の娘を選んだのだから……

 「密会」というタイトルそのままに、「ぼく」と仮面女(妻)の関係をくるりと反転させるように、地下の閉鎖空間で「ぼく」と溶骨症の娘に切ない恋(マゾヒスティックな快楽)が与えられる。

 溶けてしまった骨のまわりに、幾層にも肉や皮がたるみ、どこが股間なのか、もう正確には分からない。ぼくは手に触れる襞という襞をさぐっては、さすりつづけた。娘の呼吸が荒くなり、全身が湿っぽくなって、やがて眠ってしまった。

 いつから、どこから、このような迷走がはじまったのだろう…… 神話的構造を逸脱させるように「ぼく」の前にあらわれた溶骨症の娘とは、いったい何者なのだろう?

 次回は溶骨症の娘について語ろう。

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