鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「密会」《16》 読書と想像力

 安部公房『密会』《15》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物は《2》に、あらすじは《3》に書いてあります)。

 わたしにとっての『密会』を語ろう。

長い時間のなかから見えてくるもの

 『密会』《1》「地獄への旅行案内」を投稿したのは昨年の9月だった。あれから約10ヶ月、このシリーズもようやく最終回をむかえることが出来た。わたしは、あらかじめすべてのプラン(計画、構成)をきめてから書きはじめるタイプではないので、全16回を完走することが出来てよかったなと思う(ほっとした…)。

 この10ヶ月間、『密会』を繰り返し読んだ。『密会』の記事を書きはじめたあの頃といまとでは、『密会』の印象がずいぶんと違ってしまったような気がする。あの頃の『密会』は「小説」だった。いまは『密会』のことを「実在する記憶」(というのもおかしな言い方だけれど…)のように感じている。安部公房が『密会』の執筆で見つめていた巨大病院と同じ光景を、わたしもまた垣間見ることが出来たかもしれない、ふとそんなことを思ったりした。

 安部公房は「意味以前のイメージ」を大切にした作家だった。(詳細は《7》を参照)。「意味以前のイメージ」を直接表現することは困難なので、それは物語世界に工夫を凝らして配置された(仕掛けられた)「装置と材料」によって読者に提供される。そこから、それぞれにイメージを見つける楽しみが読者に与えられる。

 イメージは読者の想像力から生まれてくる。さまざまな「装置と材料」によって見つけられるイメージはひとつではない(装置-材料-想像力の組み合わせは無数にある)。すぐに見つけられるイメージもあれば、安部公房が長い時間のなかで作品を仕上げることを好んだように、いくつかの過程と熟成(?)の期間を経て見えてくるイメージもある。

 わたしの場合は《15》で語った溶骨症の娘のイメージがそうだった(それまでに語った《10》《14》のイメージを通過することで《15》が見えてきた…)。あのイメージに到達したとき、わたしのなかの『密会』が大きくかわったように思う。それまで苦手に思っていた生理的嫌悪の感覚が後退してゆき、『密会』の物語世界に不思議と近しいなにかを感じることが出来た。暗く絶望的な結末が、ただそれだけに終わらないことを知ったときはうれしかった。

 読むという行為=想像力によって小説=言葉=物語世界のイメージはさまざまに変化してゆく。『密会』の記事を書いてゆく過程で、作品を繰り返し読み、物語や登場人物について考えつづけることの面白さをあらためて実感できた。

 (『密会』シリーズは、読書から得られた感覚を入口にしてイメージを見つけていったので、思いのほか手間と時間のかかる作業になった)

愛と殺意 親密さと嫌悪

 わたしは、このシリーズを冒頭のエピグラム「弱者への愛には、いつも殺意がこめられている」からはじめた。「愛」と「殺意」、ふたつの言葉は『密会』の物語世界のなかでイメージの柱になっている。記事を書きすすめてゆく過程で「愛」と「殺意」は、それぞれ「親密さ」と「嫌悪」の感覚として、わたしのなかに立ち現れてきた。

 巨大病院で繰り広げられる悪趣味なお祭り騒ぎ・カーニバルのむこうに患者たちの日常が透けて見えたとき、わたしはそこに奇妙な親密さを感じることがあった。性的欲望や盗聴の対象になりたいとは思わないけれど、そこが患者=弱者を中心とした世界なら、小さな病室でひっそりと暮らしてみるのもわるくないかもしれない、そんなことを思った。

 物語の結末にも「親密さ」と「嫌悪」の感覚が見つけられる。「ぼく」と溶骨症の娘の切ない恋に、わたしのこころはつよくひきつけられる、ふたりに親密な感情を抱く。それと同時に、あのようなふたりの関係(その結末)を嫌悪する感情もある(わたしは青空の見えるところで普通に暮らしたい…)。どちらが本当で、どちらが嘘ということはないと思う。どちらともが、わたしにとって本当のことだった……

 親密さと嫌悪、わたしのこころは、ふたつの言葉のあいだに大きく広がる(この感覚をどのように表現すればよいだろう…)。親密さのなかの嫌悪、嫌悪のなかの親密さ…… あるいは、愛のなかの殺意、殺意のなかの愛…… 安部公房は「著者の言葉」で「地上では愛と殺意という二本の枝に別れていたものが、地獄では一つの球根に融けあっている」と語った。

 『密会』で描かれる物語世界では、それぞれ遠く隔たった言葉が互いに結びつき、ひとつに融けあう。すぐれた文学だけが持つことのできる大きな世界がそこにある。

安部公房の読者であることをしあわせに思うよ…)

旅の終わりに…

 旅は、ただ旅しているだけで楽しい。長い旅も終わってみれば、ほんのつかのまの旅だったような気もする。旅での出会いには、一期一会みたいなところがある。わたしは、わたしにとって大切なイメージたちとすれ違うことなく出会えただろうか?

 『箱男』(最終回)のときは「いつかまた、このシリーズとは異なる視点から『箱男』について語ってみたい」と語った。今回、そのようなことはあまり思わない、どうしてだろう……

 地下の閉鎖空間で抱きしめ抱きしめられたふたりのことは、しばらくそっとしておいてあげたいな……

 それでは皆さん、ごきげんよう。

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