鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「密会」《4》 あらすじの検討

 安部公房『密会』《3》からのつづき(1回目と目次はこちら)。

 前回、わたしの書いた『密会』のあらすじ(こちら)とノートの記述を照らし合わせて検討してみよう。

あらすじとノートの記述の矛盾点

 『密会』のあらすじは、ノート〈1〉~〈3〉+付記に書かれている出来事をひとつずつ抜き出し、それらを「昨日」「翌日」「××の後」など前後の関係を確認しながら並べかえて作成した。出来事の順序で考えると、あのような並びになると思う。

 談話記事「小説・芝居並行できつかった」では、『密会』のことが7日間の出来事として紹介されている(このことから『密会』は7日間の物語としてデザインされたことが推測される…)。わたしのつくったあらすじも、「ぼく」の妻が救急車で連れ去られてから「前夜祭」までがちょうど7日になっていている。

 物語を丁寧に読み込んで作成したあらすじではあるけれど、残念なことにノートの記述と矛盾してしまうところがいくつかある。ノート〈1〉の冒頭部分に、副院長(馬)について「出場予定の記念祭を四日後にひかえ、かなりあせっているようだ」との記述がある(「記念祭を四日後にひかえ~」はノート〈1〉の最後のところでも繰り返されている)。

 ここでの「ぼく」と副院長(馬)のやりとりは、わたしのあらすじでは5日目(早朝)の出来事になっている。8日目が創立記念祭当日なので「記念祭を四日後にひかえ~」は、わたしのあらすじと矛盾してしまう(わたしのあらすじだと記念祭は三日後になる)。

 5日目以降の出来事を簡単に書き出してみると、

 5日目 副院長の依頼によりノート〈1〉を執筆。
 6日目 ノート〈2〉を執筆。副院長と食事。
 7日目 ノート〈3〉を執筆。前夜祭。
 8日目 創立記念祭当日。

 と、なっている。5日目以降「ぼく」は日に1冊のペースでノートを書いている。ノート〈1〉と〈2〉、あるいはノート〈2〉と〈3〉のあいだが1日あいているとはちょっと考えられない(そのようなことをうかがわせる記述はない)。

 う~ん、どうしたものだろう…… これは安部公房のうっかりミス? 普通、×日後という場合、当日は入れず翌日から日数をかぞえるのだけれど、ここでの四日後は当日(5日目)も含んでの四日後ということなのだろうか? (このような解釈は可能?)

 わたしの結論としては「記念祭を四日後にひかえ~」は「記念祭を三日後にひかえ~」の誤りのように思われる。

 それといくらか関係するのだけれど、そこから少し読みすすめたところに「なにしろ妻の失踪以来、もう三日にもなるのだ」との記述がある。ここも、わたしのあらすじとは矛盾してしまう。

 この「三日」は、正確には「まる三日」のことと思われる。ノートを書いているのが5日目(朝)のことなので、これだと1日足りない(わたしのあらすじだと、妻の失踪はこの時点で「まる四日」になる)。「ぼく」が副院長(馬)からノート執筆の依頼を受けたのは、あるいは4日目の出来事だったのだろうか?

 もし、ノート執筆の依頼が4日目の出来事だとすると、あらすじの1~5日目のうちのどれか2日間が同じ日ということになる。そうなのだろうか? 1日目と2日目、2日目と3日目、3日目と4日目…… と、あらためて考えてみた。でも、どれも上手くいかない(それぞれの出来事が互いに矛盾してしまう)。とすると、ここでも「もう三日にもなるのだ」は「もう四日にもなるのだ」の誤りのように思われる。

 ノート〈1〉の最後は「会社を休みはじめてもう四日になる。これはきっと取返しのつかない事なのだ」となっている。こちらも、わたしのあらすじとは矛盾している。これが書かれたのが5日目の「もう真夜中だ。おっつけ十一時になろうとしている」ということなので、ここは「会社を休みはじめてもう五日になる」とならないといけないと思う。

 ノート〈1〉の記述は「記念祭を四日後にひかえ~」と「妻の失踪以来、もう三日にもなる」「会社を休みはじめてもう四日になる」で、前夜祭までの日数がちょうど7日になっている。これは、全体が7日間の物語ということでは合っている。このことから考えると、どちらかの日数を1日間違ってしまっために、結果として前後両方の日数がずれてしまったのかなあとも思う(よくは分からないけれど…)。

 安部公房はおおくの原稿用紙を消費し、長い時間をかけて試行錯誤しながらひとつの作品を仕上げる。複雑な作業(加筆、変更、削除、順序の入れ替えなど)を経てつくられる物語では、いろいろと間違い(思い違い)が生じやすくなるのかもしれない。

その他の気になる記述

 『密会』では、その他にも気になる記述があるので少し書いておこう(些細なことなので興味のある方のみどうぞ…)。

 ノート〈2〉の終わり近くに「七時四十三分。窓の外の闇がめくれて、雲の割目が輝き、三秒後に雷鳴、大粒の雨が降り出した。そろそろ馬が迎えに来るころだ」との記述がある。ノート〈3〉の冒頭に馬が迎えに来たときの記述があり、そこを読むと「約束どおり遅めの食事を迎えに来た馬は、最初から苛立ちを隠そうともしなかった。白いライトバンに乗り込んだとたんに、空がはじけて雨が降り出した」となっている。

 あれ? 雨は7時43分に降りはじめたんじゃなかったの? それとも7時43分に降りはじめた雨はいったん上がり、ライトバンに乗り込んだときにまた雨が降り出したってことなのかな?

 「付記」では溶骨症の娘が先生(副院長)を見つけた場面で「女は広い額に、縁無しの眼鏡をかけ、深い襟刳りで胸の厚さを誇張していて、病院前の周旋屋の真野圭とそっくりである」との記述がある。

 真野圭? 「ぼく」は真野斡旋の女性の名前をいつ真野圭だと知ったのだろう? 物語の冒頭で「ぼく」は、この女性から名刺を渡されている。でも、そこには真野斡旋としか書かれていなくて、真野圭の名前は入っていない。ふたりの会話のなかにも真野圭という名前は出てこない。その他のところでも彼女の名前は出てこなかったと思うのだけれど……

 『密会』には、謎がおおい……

 次回は物語の舞台である巨大病院とその背景について語ろう。

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