鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「箱男」《13》 続・謎解き

 安部公房『箱男』《12》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物とあらすじは《2》に書いてあります)。

 『箱男』の「裏コードとでも呼ぶべき読み方」(ディープな謎解き編)について語ってゆこう。

箱男の真相 あなた誰?

 「ここに再び そして最後の挿入文」から、その冒頭部分を引用しよう。

 ところで、そろそろ真相を明かすべきときが来たようだ。箱を脱いで、ぼくの素顔を見せ、このノートの真の筆者が誰であったのか、真の目的がなんであったのかを、君にだけは正確に知らせておきたいと思う。

 はじめてこの小説を読んだとき(わたしは19歳だった)、ここでようやく箱男の謎があかされるのかと思い、いくらかどきどきしながらつづきを読みすすめたことを覚えている。

 君には信じられないかもしれないが、これまで書いてきたことに、まったく嘘はない。想像の産物ではあっても、嘘ではない。

 (……)

 むろんぼくに、真相を告白しなければならない義務があるわけではない。同様君にも、信じなければならない義務はない。

 は?! なんだこれ…… (思いがけない裏切りの展開に、少なからずショックを受ける… あの頃の読書はいまとくらべて素直だった…)

 このあと「ぼく」は「月賦制度」について語り「安楽死」について語る。そのなかに「箱男殺しも罪にはなり得ない」との語りが、さり気なく入れられてはいるけれど…… (これが純文学的レトリックというやつだろうか… と当時のわたしは思ったのだった)。

 この章を何度か読み返してみても、箱男の真相「ノートの真の筆者が誰であったのか」については、さっぱり分からない……

 (この章を古典的な探偵小説にあるような、犯人(箱男)から読者への挑戦状として読むことも、あるいは出来るかもしれない。その場合、謎を解く探偵は作中に存在せず、解答編もないということになる…)

裏コードとでも呼ぶべき読み方

 『箱男』には、物語の真相をほのめかすような「思わせぶりな語り」が、いたるところにちりばめられている。だからといって、むむ、ここでの語りはなんかあやしいぞ…… と考えてみても、そこから真相へと近づくことはなかなかむつかしい…… (わたしには出来なかった…)

 わたしが『箱男』の「裏コードとでも呼ぶべき読み方」について考えはじめたのは『安部公房全集』を購入してからのことだった。インタビュー「安部公房との対話」から、そのきっかけとなったところを引用しよう。

 『箱男』が型破りの小説であることはまさにその通りだと思います。独特の構造をもっていますから。トリックもたくさん仕掛けてあります。しかし、それらが理解されるとは考えられないな。たとえ注意深い読者であってもね。

 なるほど…… 『箱男』には、たとえ注意深く読んだとしても理解されないトリックが仕掛けられている(らしい…)。これはたんに難解なトリックというだけでなく、ある意味不完全なトリックということなのかもしれないとも思う(わたしの推理…)。

 大ざっぱにいって、『箱男』はサスペンス・ドラマないし探偵小説と同じ構造なのです。

(……)

 あの小説を書いている男は罪を犯した男ですから、したがってぼくがあの小説を書くために罪を犯したことになると思います。でもあの男の正体はだれにもわかりません。

 そっかあ、箱男安部公房だったのか! ということではなくて…… はじめてこのインタビューを読んだとき、わたしはいくらか奇妙に思った。

 皆さんは、この小説の主人公(つまりはノートの筆者)は誰だと考えますか? 「供述書」などの章では、その語りが贋医者に入れ替わったりもするけれど、メインの語り手(主人公)は最初に登場した元カメラマンの箱男「ぼく」でしょ(そうよね…)。

 わたしは、ずっとそう思って『箱男』を読んできた(つまり《7》の「構成 複数の話者」で紹介したような「各章が独立した構成」としての読み方)。

 そうすると…… あれっ…… この「ぼく」って、そのような「罪を犯した男」だったかな? 軍医殿を殺害したのは贋医者なわけだし、「ぼく」が犯した罪といえば病院の敷地にこっそり忍び込んで、その室内を覗き見したくらいだったような……

 (この元カメラマンの「ぼく」は空気銃で撃たれたりして、どちらかというと事件に巻き込まれた被害者の印象だったりするけれど…)

 ここでの安部公房の発言は、なんかおかしくないか?

 と思いつつも、安部公房はこの作品の作者なので「おかしくないか?」と疑問を投げかけてみてもはじまらない…… この言葉をそのまま理解すると、安部公房は「罪を犯した男」のイメージでこの小説を書いたということになる…… 

 これはいったいどういうことだろう…… 『箱男』の謎はますます深まるばかり……

 でもね、手掛かりがあればこそ、真相に近づけるというもの。なにごともあきらめないことが大切(と思う)。安部公房のこのような発言に矛盾しない「読み方」を考えてみよう! 

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