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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「鞄」《6》 ひとの心理

 安部公房『鞄』《5》からのつづき(1回目と目次はこちら)。

 《5》を投稿したのが6/7なので、あれからずいぶんと時間が経ってしまった…… ひとの心理の変化について語ってみよう。

ひとの心理はかわってゆく

 《5》では「私」のこころの「不自由」と「自由」の境界について語った。このような心理の変化は、文学作品固有のものだろうか? それとも、わたしたちの日常でもあり得ることだろうか? (どうだろう…)

 『鞄』に描かれたような状況を実際に経験してみることは出来ないので(そのつもりになって想像することは出来ますが…)、たしかなことは分からない。でも、心理の変化ということなら、わたしたちはあの『鞄』と似たようなことをさまざまに経験しているような気もする。

 友だちに誘われて遊びに出かけたとき、いまひとつ気分が乗らなくて楽しめないことがある。でも、ずっとそのままかというと、そうでもなくて、ふと気がつくと思いのほか楽しい時間をすごしていたりする。その反対に、はじめは楽しく遊んでいても、てもやがて飽きてしまって退屈してしまうこともある。状況が同じだからといって、いつも同じ心理だとは限らない。好きだったものを嫌いになったり、出会ったときはさほど興味を惹かなかったものに、やがて夢中になったりもする(ひとのこころは兎角うつろういやすい…)。

 そのように考えると『鞄』での「不自由」から「自由」への変化もそれほど奇妙なものではないように思えてくる(そうでもない?)。

『鞄』 わたしの読書

 心理の変化の視点から、『鞄』を読んだときの体験を語ってみよう。

 はじめて安部公房『鞄』を読んだのは、ずいぶんとむかしのことだった。短い作品なのですぐに読み終えることが出来た。読後の印象はあまりよいものではなかったと記憶している。『鞄』はわたしにとって、ある日突然、不思議な鞄を手にしたことから奇妙な状況に巻き込まれてしまう怖いお話だった。

 もし、わたしがこの鞄と同じものを持って家を出かけたら、物語の主人公と同じように家には帰ってこられないだろうと思った。わたしは家を出たら、きちんと家に帰ってきたい…… (普通はそうでしょ?)わたしが『鞄』を読んで実感したのは「自由」ではなく「怖さ」だった。

 安部公房の作品をいくつか読み、その作品世界にひかれていた頃のこと、ふと読みかえした『鞄』が、作家の創作のプロセスに似ていることに気がついた。創作というのは、鞄をもって事務所を出かけたのち、近所をくるりと回ってまた事務所に戻ってくることではないだろう(そのような作品はつまらないと思う)。

 自分にとってもよく分からない未知の領域を、なにかに導かれるように迷いなくすすんでゆくことが創作なら、みしらぬ街を不思議な鞄を持って歩きつづける「私」が語った自由も分かる気がした。そのようなイメージがわたしのなかに生まれた瞬間、『鞄』は怖いお話ではなくなった。

 (『鞄』と創作の関係については《1》《2》でいくらか語りましたが、こちらの第2部ではより詳細に見てゆく予定にしてます)

 日常の感覚を基準にして『鞄』を読めば、そこから得られるのは「ちょっとした好奇心から奇妙なもの(不思議な鞄)に関わることで、それまでの生活を失ってしまう」という教訓かもしれない(怪しげなものとは係わり合いにならないのがいちばん…)。

 創作=物語の視点で『鞄』を読めば、「私は嫌になるほど自由だった」と語った主人公が、不思議な鞄と共にこれからどのような体験(旅)をするのだろうとわくわくするものがある。同一の対象(作品)が、日常の感覚を視点にして読むのと、創作=物語という非日常の視点で読むのとでは、その印象が大きく変わってしまう。

作家の資質

 「日常的」であることを、かわることのない日々の暮らしのなかの安心感とするなら、「創造的」であることは、どこか冒険に似ている。いつも上手くゆくとはかぎらないし、そこには未知の領域へとすすんでゆくことの困難や不安、疲労がある。それでも「日常的」であるよりは(すくなくともこころのあり方として)「創造的」である方が、より人生を楽しめそうな予感がある。

 対象~世界をどのようにとらえるかというのは、そのひとの資質が深く関係している(そのひとの認識、思考のありかたを反映したものの総体が、そのひとにとっての世界になる)。安部公房の作品(小説や戯曲)は、どれも人間社会への深い洞察と独創的な創造性にあふれている。『安部公房全集』のインタビューや対談を読むと、このような認識や思考(世界観、人生観といってもよいかもしれない)から、あのような作品群が生み出されるのかと肯くこともおおい。

 1985年のインタビュー「方舟は発進せず」から引用しよう。

 参考:1924年、東京に生まれた安部公房は、その翌年、両親と共に満州に渡る。旧制成城高校から東京帝国大学医学部へ入学。1944年、敗戦がまもないという情報を得て、東京から自宅のある満州へ戻る。1945年、満州で終戦をむかえる。その年、発疹チフスの大流行があり、開業医で診療にあたっていた父親が感染により死去。

 ぼくの父親なんかは、もう日本に帰る気はなくて、もう満州で骨を埋める気持ちで暮らしていて、ぼくも家といったら満州だったのですよ。それがなくなったのですよ。(……)事実、場所を全部失ったということは、頭ではなく、からだで感じていた。でも、そんなに辛くはなかったね。(……)人間って、しょせん、いつでも何かを失っていく方が仕合せだと思った。

 安部公房の語った「人間って、しょせん、いつでも何かを失っていく方が仕合せだと思った」は、わたしのお気に入りの言葉になっている。なにかを失うことは、もちろん悲しいことだし、残念なことだと思う(出来ることならなにも失いたくない)。でも、失うことによって、はじめて見えてくるもの、感じられるもの、分かってくることもある(ひとはいつもなにかを失いながら生きている…)。

 安部公房の語る喪失のなかの仕合せは、ひとのこころを越えてゆくかのような大きな世界での出来事という気がしている。なにかを失うことで、それは次のなにかに引き継がれてゆく、その先へとすすんでゆける自由がある(そのような大きさをわたしも持ちたいな…)。

 このようなことが『鞄』に直接反映されているかというと、そうではないけれど、「私」が事務所に戻ることにそれほど固執することなく、手にした鞄の「不自由」が「自由」へと反転してゆくのは、安部公房のそのような資質(その一端)がそこに付与されているからではないだろうか。

 (喪失のなかの仕合せは、わたしが『密会』《14》で語った「絶望もまた希望の一形式」とも共通するものがあるように思う)

 不思議な鞄を手にした「私」は、それまでの日常の流れからさらりと離脱してしまう。新たな時間の流れ=未来は「私」をどのような出来事へと導くのだろう。

 次回は『鞄』の書かれた背景と作家の閃きについて語ろう。

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