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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「鞄」《8》 変奏

安部公房

 安部公房『鞄』《7》からのつづき(1回目と目次はこちら)。

 『鞄』の物語をお手本にして、新しい物語をつくってみよう。

簡単なようで むつかしい…

 『鞄』の物語から新しい物語を派生させるのは簡単なようで、むつかしい。『鞄』を構成している要素(設定)を別のものに置き換えてお話を組み立てることは、それほどむつかしくない。でも、ここで大切なのは閃きなのだから、知的な操作だけでお話を組み換えたのでは意味がない(そのような物語は、面白みがないことがおおい)。

 では、閃きが訪れるまで待っていればよいかというと、安部公房が「目玉の中心で見つめている努力がもしなかったら、絶対に突然閃くわけない」と語ったように、知的な努力(論理的な思考)のないところに閃は訪れない。ということは、知的な試行錯誤もまた必要ということになる(いっけん無意味に思える努力があってはじめて飛躍のときが訪れる…)。

 わたしは、『鞄』の設定をさまざまに変更しながら、それらを再構成してお話を組み立てるという作業を時間をかけてやってみた。いろいろなパターンのお話をつくる過程で、コツのようなものがあることに気がついたので紹介しておこう。

  1. 物語の設定(主人公や場面の設定)は自分にとって身近なものを選ぶとよい(「私」を制約するものが鞄である必要はない)。
  2. 「私」の心理の不自由から自由への移行(変化)には、こだわらないほうがよい。

 [1]は、物語への感情移入のしやすさということになると思う。自分が親しみを持てる登場人物(キャラ)や場面設定だとお話を考えるのも楽しくなる(自分にとってリアリティの感じられない設定では、そこで語られる物語もどこか嘘っぽいものになってしまう)。

 [2]の不自由から自由への移行は、実際にやってみると分かるのだけど、その扱いがとてもむつかしい。無理に盛り込もうとすると、お話が妙に理屈っぽい不自然なもになってしまう(理屈で読者を説得する物語なんていやだな…)。同一の状況や設定が主人公にとって、対立的なものから肯定的なものへと変化するように物語を組み立てると上手くゆくことがおおかった。

わたしの閃き

 『鞄』から新たな物語を派生させるときにむつかしいのは《7》で語ったように[2-2]から[2-3]への移行のところだと思う。気がつくと、なんとなぁ~く、私は鞄に導かれているのだった…… のような描写では展開として弱い。もっとたしかな手応えがほしい。でもそれが何なのか、わたしには分からない(う~ん…)。

 そうこうしているうちに、とある声優さん(若い女性の方)が語った高校時代(ミッション系の女子校だったと記憶しています)のエピソードを思い出した。わたしが求めていたものは、これじゃないのか…… 小さな閃きだった。

 彼女(声優さん)の高校生活は、友だちにも恵まれた楽しいものだったという。でもときに、いつもと違う状況が訪れることもある。

 彼女の通う高校は大きな川のむこうにあった。毎朝、川にかかった橋を渡って登校した。よく晴れた日のこと、彼女は橋のなかほどで足を止めた。ゆたかな水の流れに、朝の透明な日差しがきらきらと輝いていた。まばゆくうつろう光は、いつまでも見飽きることがなかった。彼女は橋の上から川面[かわも]を眺めつづけた。気がつくと2時限目がはじまる時間になっていた……

 ほほえましくもあり(彼女は天然系さん?)、それでいて、どこか胸がきゅんと切なくなるところもある。なぜ彼女はあのように長い時間、川面を見つめていたのだろう? 彼女にその理由をたずねてみても、明確な言葉は返ってこないような気がする。これは学校に行きたくなかったのとは違うんじゃないかな。そのとき彼女は、学校に行くこと以上の大切な何かをそこに見ていたのだと思う。

 わたしは、彼女の語ったエピソードを[2-2][2-3]のあいだに組み込みたいと思った。

『鞄』変奏

 橋と川面のエピソードを物語に上手く組み込めるように『鞄』の設定を変更しよう。「私」を彼女と同じ高校生にしよう。不思議な鞄を持って現れる青年は、クラスに転校してきた転校生(女子)がいいだろう。

 その転校生がやって来たのは5月の中頃だった。小柄で手足がすらっと長い彼女は年代物の旅行鞄を思わせる大きな鞄を持って登校していた。クラスの誰もが、彼女の大きな鞄のことを話題にした(その鞄は学校の許可を特別に受けたものらしい…)。でも、誰もそのことを直接彼女にたずねようとはしなかった。彼女には、そのような質問を遠ざけてしまう繊細な雰囲気があった。

物語のはじまりは、こんな感じでどうだろう……

 あるよく晴れた日の朝、登校の途中に私は彼女と一緒になった。小さな偶然が、さも素敵なことのように思われた。二人で並んで歩きながら、私は彼女の鞄のことが気になって仕方なかった。ちらちらと横目で大きな鞄に何度も視線を落とした。交差点で信号待ちをしていたときのことだった。
 「大きな鞄でしょ」と、彼女はいくらか恥ずかしそうに言った。
 「大きな鞄だね」と、私は言った。
 彼女の鞄について訊ねるのを我慢することは出来なかった。彼女から返ってきた答えは意外なものだった。

 (彼女の鞄の説明は、原作『鞄』と同じ内容なので省略しますね)

 「鞄を取っ替えっこしようか。この鞄、貸してあげるよ」
 思いがけない彼女からの提案だった。
 「いいの?」
 「私の鞄に興味があるんでしょ」
 彼女にこころを見透かされた気がした。でも、鞄への好奇心にはさからえない。私たちはお互いの鞄を交換することにした。
 「それじゃあ教室で会いましょう」私の鞄を手にした彼女はそう言い残すと、足どりも軽やかに去っていった。
 彼女の鞄は大きいだけではなく、ずいぶんと重い鞄だった。ずしりと腕にこたえた。でも、持って歩けないほどではなかった。学校までくらいなら、なんとかなるだろう。そのときの私は楽観的な気持ちでいた。
 いつもの橋の前まで来たときのことだった。腰骨に背骨がめり込む感覚があった。うぐぐ…… 橋の手前にある小さな坂をどうしても上ることが出来ない。仕方なく別の橋を渡ることにした。川沿いの道をすすんだ。でも、なかなか渡れる橋に巡りあえない。ちょっとした坂や石段に行く手を阻まれた。始業時間に間に合わないかもしれないと思い焦りはじめたとき、ようやく渡れそうな橋を見つけた。橋も道もボーリングのレーンのように平らだった。これなら渡れるだろう。
 ほっとひと息ついて、橋を渡りはじめた。橋から見下ろした川面に朝の透明な日差しがきらきらと輝いていた。胸の奥がきゅんとなった。思わず立ち止まり、川面を眺めた。まばゆくうつろう光は、いつまでも見飽きることがなかった。気がつくと2時限目がはじまる時間になっていた。
 どうしてだろう、不安は感じなかった。小さな微笑みが、私の顔をほころばせていた。鞄が私を導いてくれている、そう思った。

 おわり

 ここに自由は出てこない。でも、それでいいと思っている。この「私」が求めていたのは自由ではなかったのだから。川面の輝きが彼女にとってのこころの自由だった……

変奏から見えてきたもの

 このささやかな物語(『鞄』変奏)は、わたしにいくつかの大切なことを教えてくれた。そこから得られたものを検討する過程で、『鞄』の結末が安部公房の別の作品の結末によく似ていることに気がついた(ひとつの閃きが、もうひとつの閃きをわたしにもたらしてくれた!)。

 『鞄』の結末が別の作品の変奏なら、ふたつの作品をつきあわせることで、これまで見えてこなかったものが見えてくるかもしれない(このシリーズもいよいよ佳境へ…)。

 次回もひきつづき『鞄』の変奏について語ろう。

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