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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

リルケ 「オルフェウスへのソネット」第1部〈1〉

 わたしの言葉とイメージでリルケの詩を翻訳するシリーズ(いつのまにかシリーズになっているよ…)(その2回目、1回目はこちら)。

 今回はリルケオルフェウスへのソネット』(オルフォイスに寄せるソネット)から第1部〈1〉に取り組んでみた。

 ※ わたしの訳はリルケが〈もの〉として展開したイメージをもう一度〈こころ〉の次元に再転換する試みです。原詩(全14行)にパラフレーズするおおくの言葉を差し挟んでいます。

Die Sonette an Orpheus, Erster Teil I

原詩はこんなふう。

Die Sonette an Orpheus, Erster Teil I (1923)

Da stieg ein Baum. O reine Übersteigung!
O Orpheus singt! O hoher Baum im Ohr!
Und alles schwieg. Doch selbst in der Verschweigung
ging neuer Anfang, Wink und Wandlung vor.

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren
gelösten Wald von Lager und Genist;
und da ergab sich, daß sie nicht aus List
und nicht aus Angst in sich so leise waren,

sondern aus Hören. Brüllen, Schrei, Geröhr
schien klein in ihren Herzen. Und wo eben
kaum eine Hütte war, dies zu empfangen,

ein Unterschlupf aus dunkelstem Verlangen
mit einem Zugang, dessen Pfosten beben, –
da schufst du ihnen Tempel im Gehör.

グーグル先生 オルフェウスへのソネット 第1部〈1〉

 いつもお世話になっているグーグル先生(Google 翻訳)の訳(第1連)をご紹介しておこう(このシリーズのお手本にさせてもらっている岩波文庫リルケ詩集』高安国世訳は、毎回全文を引用するわけいにもいかないと思うので、今回は省略します)。

 ツリーは、上昇したので。 おお純粋な超越!
 おおオルフェウスは歌う! 耳の中に背の高い木ああ!
 そして、すべてが沈黙していた。しかし、その中で
 新たな始まり、手招き、変化であった。

 ※ Oを「おお」に置き換えかえました。

 グーグル先生は達観していらっしゃるので、無駄な表現がいっさいありません…… (いつかわたしもこの境地に…)1行目のシンプルでちからづよい表現「おお純粋な超越!」は素敵です。

オルフェウスへのソネット 第1部〈1〉

 今回も、わたしの理解と好みをおおいに盛り込みつつ(特盛りです)訳してみた(リルケが語りたかったのは、こういうことじゃないのか?)

オルフェウスへのソネット 第1部〈1〉

 いかが? (個人的な試みなので参考の参考ということで…)

 詩のイメージは曖昧さを排除して立ち上げることが出来たと思う。

翻訳ノート

 わたしの訳の簡単なご説明。

第1連――わたしの訳はリルケが〈もの〉として表現したものを、再びこころの領域に再転換する試みなので、樹(そのもの)が「超越」するのではなく、「ぼく」の眼差しが樹のイマジネーションを受けて空を越え、未知の領域へと導かれるイメージで表現してみた。

 原詩の1行目で対象として描かれた「樹」が、2行目では耳の中の「樹」として自己の内部に取り込まれていることに注目しておきたい(外部から内部への転換)。

 7行目、「静けさ」のところは、岩波文庫リルケ詩集』高安国世訳では、沈黙(静けさ)のなかに「あらたな開始、合図、変化が起こっていた」となっている。この静けさ(沈黙)は、ひとの集中力が最高にたかまったときの、怖いほどのこころの静寂みたいなものだと思ったので「ありあまるこころの静けさが 開始の合図だった」としてみた。

第2連――高安国世訳で「獣」となっているのを「野生」(深層心理=日常では意識下に隠されている自己の一部くらいの意味)とした。

 高安国世訳の最終行は「あなた[オルフェウス]は彼ら[獣]のため 聴覚の中に一つの神殿を造った」となっている。獣=野生=深層心理が自己の一部だからこそ、聴覚のなかに、そのための場所=神殿が与えられたのだと思う。つまり、野生=深層心理の意識下から意識への移行(顕在化)。

第3連――ここからがむつかしい…… グーグル先生に訳していただくも、いまひとつイメージがつかめない。ということでお手本にしている高安国世訳を手にとってみたけれど、わたしのこころは、いまひとつ納得しない(イメージの展開に手応えのようなものが感じられない)。

 さて、どうしよう…… この詩は4つの連からつくられている。当然それらは互いに相関関係にある。第2連は「野生」を解き放つイメージになっている。ということは……

 注目したのは、9行目 Brüllen, Schrei, Geröhr のところ。高安国世訳では「咆哮も叫喚も啼鳴も」と訳されいる。一般に詩では、同じ意味の言葉をつづけない(無駄撃ちをしない)。でも、ここでは似たような意味の言葉が連打されている。

 なぜか? そこに、作者(リルケ)のつよい思いがあったからではないのか。そして「咆哮~」は、野生=意識下から放たれたものだろう。意識下から直接言葉にならない何ものかがもたらされたとき、詩人であれば当然、それを適切に言語化したいと思う(はず…)。

 でも、簡単に言語化できるものなら、そもそも意識下にしまわれてはいないわけで(思考によって処理することの出来ない何かだからこそ、それは意識下へと沈んでいたわけで)、野生=深いところから響いてきたこころの波動を適切に言語化することは容易くない。

 ここまでイメージが見えてくるとあとは簡単だった。高安国世訳とグーグル先生の訳、他を参考にしつつ、そこから見えてきたイメージを(原詩の言葉のひとつひとつにそれほどこだわることなく)展開していった。意味としては、あのようなことだと思う。

第4連――ここでのポイントは、13行目 Pfosten(柱、支柱) をどのようなイメージで訳すかだと思う。高安国世訳は「門柱の震える狭い戸口を持った~」となっている(う~ん…)。

 しばらくネット上をうろうろ…… Pfosten を画像検索したとき、道路上にぽつんと立っていた50センチくらいの柱(ポール)の写真にこころひかれた(なんか分かった気がした、たぶん…)。

 これは、対象を適切に言語化(構造化)できずにどうしてよいか分からず、その入口(戸口)で棒立ちになって、ふるえている状態が表現されたものではないのか(あふれる思い=ふるえ、振動、みたいなこと)。

 また、この詩で繰り返し描かれる建物=空間のイメージを、非言語の対象から言葉=詩を導くための空間とすると、柱は建物=空間の一部であり、空間未満の状態ということになる。このイメージで展開してゆこう。

 最後のところは「求めるな ただ歌え」とオルフェウスからのメッセージ(わたしにはそう聞こえた)をつけ加えた(こういうのって余計なものとは思うけれど、個人的な楽しみということで…)。

 今回の訳は、第3~4連のイメージを探すのにけっこう手間取った。正しい方向で訳せているといいとは思うけれど、ドイツ語の知識がないので、なんともいえない(機会があればドイツ語に堪能な方のご意見を伺ってみたい)。ただ、詩全体の流れから考えると、こういうことでしょ、とは思う。

 詩を読む行為は歌われた言葉に寄りそうだけではなく、ときには創造的なものも必要とされる。詩は面白い!

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