鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

文学メモ 箱男―匿名の夢

 今日のお天気は晴れ。

 この頃は暑さもやわらいで、わたしの好きな気候になってきた。

 『箱男』シリーズ 第2部についてのメモ書き(その2)。

ときに予期しないことが起こることもある

 わたしのブログは、どちらかというとひっそりとしているブログかなあと思っている。いち日の訪問者数は検索経由を中心に50~100人(IP/day)くらい。

 でも、ときに予期しないことが起こることもある。しばらく前のこと、アクセスカウンターの数値(いち日の訪問者数)が1267になっていた。日頃の訪問者数からしてあり得ない数字(カウンターが壊れた?)。

 わたしが利用している「はてなダイアリー」では、どこからアクセスがあったのか分かるようにリンク元が記事の編集ページに表示される仕様になっている。そちらを見てみると、1200IPを越えるアクセスを確認できた(カウンターが壊れたわけではなかった)。リンク元のURLは2ちゃんねるまとめサイトで、スレッドのタイトルは「超難解な小説教えろ~」みたいなものだった(文学関連ということでひと安心…)。

 難解な小説の紹介では、夢野久作ドグラ・マグラ』、ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』、ウィリアム・バロウズ裸のランチ』、トマス・ピンチョン『重力の虹』などが並んでいて、そのなかに安部公房箱男』もあった。その解説先として、こちらのブログがリンクされていた(なるほど、そういうことだったのか…)。

 それにしてもと思わなくもない。2ちゃんねるまとめサイトはいち日に万単位~10万単位のアクセスがあると聞く(すごい…)。でも、まとめサイトにアクセスした方で「超難解な小説教えろ~」のようなタイトルに興味を持つ方というのは、どちらかというと少数ではないだろうか(誰もが興味を抱く内容とは思えない)。そこから安部公房箱男』を読んだ方(あるいは興味のある方)で、さらにその解説のページ(こちらのブログ)にアクセスしてみようという方になると、ずいぶんと限定されてしまうように思う。

 そのように考えると、ひと晩で1200IPを越えるアクセス(ピークで300IP/HRくらい、つまり12秒に1回のアクセス)というのは、ちょっとおおすぎるような気がする。分母が不明なのでなんともいえないけれど、このことをどのように考えればよいだろう……

箱男―匿名の夢 1973-2012

 安部公房は戦後を代表する作家のひとりではあるけれど、いまの日本ですごく人気のある作家かというと、それほどではないと思う。そもそも純文学の作品は、小説(全てのジャンル)のなかでも、どちらかというと過去のものという印象で影が薄い。日本の純文学でおおくの方に読まれている作家を、夏目漱石太宰治三島由紀夫あたりとすると(わたしの主観です)、安部公房にはどこか異端の雰囲気がある。

 『箱男』は安部公房の代表作のひとつであり、独創的な魅力にあふれた作品だと思う。でも誰もが楽しめる作品かいうと、いくらかむつかしいところもある。『安部公房伝』で安部ねりさんは「これまでの広い読者層からくらべると『箱男』は難解になり、誰にでも読めるものではなくなったと言えよう」と語っている(一般論では、わたしもそうだと思う)。

 にもかかわらず、ひと晩で1200IP…… う~ん……

 分母がよほど大きかったのだろうか(でもその大きさにはおのずと限りがあるはず…)。あるいは「2ちゃんねる」を好むような方は、すべての読者の平均にくらべて『箱男』のような作品を好む方がおおいということなのだろうか(どうだろう?)。

 『箱男』(単行本)の函に掲げられた「著者の言葉」を引用しよう。

 都市には異端の臭いがたちこめている。人は自由な参加の機会を求め、永遠の不在証明を夢見るのだ。そこで、ダンボールの箱にもぐり込む者が現れたりする。かぶったとたんに、誰でもなくなってしまえるのだ。誰でもないということは、同時に誰でもありうることだろう。不在証明は手に入れても、かわりに存在証明を手放してしまったことになるわけだ。匿名の夢である。そんな夢に、はたして人はどこまで耐えうるものだろうか。

 「都市」を「インターネット空間」、「ダンボールの箱」を「匿名掲示板」に読みかえてみると……

 「〈インターネット空間〉には異端の臭いがたちこめている。人は自由な参加の機会を求め、永遠の不在証明を夢見るのだ。そこで、〈匿名掲示板〉にもぐり込む者が現れたりする。(……)匿名の夢である。そんな夢に、はたして人はどこまで耐えうるものだろうか」

 というふうに読める(むむむ… 怖ろしいほど違和感がない)(2ちゃんねる経由で、こちらの『箱男』のページにおおくのアクセスがあったことも、なんとなく分かる気がしてきた…)。

 『箱男』が発表されたのは1973年だった。あれからほぼ40年、箱男が手にした「匿名の夢」は、その未来を予見していたかのように都市空間からインターネット空間へと引き継がれていった…… 「そんな夢に、はたして人はどこまで耐えうるものだろうか」の問いかけは、2012年のいまも色褪せていない。

 『箱男』シリーズ 第2部では、このような都市―ネット空間の視点からもあれこれ語ってみたいと思う(扱うテーマが大きいので、わたしの出来る範囲で取り組んでゆこう)。

 

鞠十月堂