村上春樹 「風の歌を聴け」《1》
今日のお天気は晴れ。
気温は27度。これくらいだと暑くなくていいね。
村上春樹『風の歌を聴け』について語ろう(このシリーズは《18》まで書いたところで休止しています…)。
完璧な文章 完璧な絶望
『風の歌を聴け』のはじまりはこんなふう。
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
これは「僕が大学生のころ偶然知り合ったある作家」の言葉なんだけど、小説のはじまりが「偶然知り合ったある作家」の言葉からはじまるなんて、なんだか面白い(この「完璧な~存在しない」は、その後、村上春樹の作品によく出てくる言葉「不完全な~」を暗示しているようにも思われる…)。
「僕」はこの言葉を、文章を書くことの「絶望的な気分」に対する「ある種の慰め」として受けとっていたという。わたしもときどき絶望的な気分になることがあるけれど、絶望ってどこかとりとめのない言葉だと思う。それはわたしに深い泥濘を連想させる。悲劇は激流の渦みたいに美しく見えることもあるけど、絶望はただ暗くて、そのなかでもがきながら力尽きてゆく感じ……
この「ある作家」が登場するのはここだけ。このあとは、デレク・ハートフィールドという架空の作家が出てきて、文章についてあれこれ語る。ハートフィールドのことはちょっと好き。「あとがきにかえて」(これも架空のあとがきです)に書いてある、マックリュア氏の労作『不妊の星々の伝説』(Thomas McClure; The Legend of the Sterils Stars: 1968)わたしも読んでみたい。
記憶のなかの村上春樹
わたしが村上春樹の小説を繰り返し読んでいたのは10代の終わりから、20代のはじめ頃のこと。あの頃は本をたくさん読んでいた(いまは、ほどほどに読むくらい…)。
『ノルウェイの森』からの少し引用しよう。
最初は五秒あれば思いだせたのに、それが十秒になり三十秒になり、一分になる。まるで夕暮れの影のようにそれはどんどん長くなる。そしておそらくやがては夕闇の中に吸い込まれてしまうことになるのだろう。
わたしたちの記憶もそうだと思う。だから夕刻の薄闇が夜の漆黒の闇にかわる前に、村上春樹の作品について、わたしにとっての大切な言葉を書きとめておきたいと思う。
わたしの好きな村上春樹がここにいる。
- 次回 「風の歌を聴け」《2》