村上春樹 「風の歌を聴け」《13》
今日は、ぼんやりとした曇り空のお天気。
日差しはないけれど、気温はあたたか。それから風がつよい。
村上春樹『風の歌を聴け』《12》からのつづき(1回目はこちら)。
軽い喪失感と失われた無垢
『風の歌を聴け』〈17〉の始まりは、こんなふう。
三日間、僕は彼女の電話番号を捜しつづけた。僕にビーチ・ボーイズのLPを貸してくれた女の子だ。
村上春樹の小説の主人公たちは、いつも何かを探してる。その何かは、見つかることもあれば、見つからないこともある。たとえ見つかっても、それは、はじめに思っていたものとは、かわってしまっていたりする……
僕がそこに電話をかけてみると女主人らしい人物が出て、彼女は春に部屋を出たっきり行き先は知らない、と言って電話を切った。知りたくもない、といった切り方だった。
それが僕と彼女を結ぶラインの最後の端だった。
軽い喪失感。いくらか感傷的で、気分的なものにすぎない喪失感だけれど、その余韻は消えてゆきそうで消えることなく、こころに残る。
この彼女は病気の療養のために、通っていた大学に退学届けを出したという。「何故休学届けではなく退学届けだったのか」そのように問いかける「僕」の言葉が、わたしのこころを切なくさせる。ふと『ノルウェイの森』の直子のことを思い出してしまう。
「僕」がその気になれば、この彼女について、もっとはっきりとしたことを知ることも可能だと思う。「手間さえ惜しまなければ大抵のことはわかるものなのだ」(『羊をめぐる冒険』より)
でも「僕」はそうしない。「僕」の物語はまだはじまったばかりなのだから。この小説の終わりが、この物語の終わりではない。ひとつの小説から、次に書かれる小説へと、物語は姿をかえて引き継がれてゆく。
「失われた無垢をめぐる寓話」って言葉を思い出した(川本三郎『村上春樹をめぐる解読』1982)。無垢は、そこに大切なものすべてがあるかのように思わせる幻なのだろうか? それはたくさんの言葉を求め、深い沼のように呑み込んでゆく。
そんな無垢に呑み込まれないために、作家は書き続けるのかもしれない。やがて「失われた無垢」とお別れするその日まで。
- 次回 「風の歌を聴け」《14》
- 前回 「風の歌を聴け」《12》