村上春樹 「風の歌を聴け」《5》
今日のお天気は小雨。
気温は低め、空は明るい灰色。
村上春樹『風の歌を聴け』《4》からのつづき(1回目はこちら)。
夏の太陽はいずこに……
『風の歌を聴け』〈2〉をみてみよう。
この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。
〈2〉は、この一文で終わり。文庫本だと、たったの1行。
そう、これは夏のお話だったのね…… でも、わたしには夏って印象がまるでない。「ビーチボーイズ」とか「カリフォルニア・ガールズ」って字面はたしかに夏のイメージ。
「ひどく暑い夜だった。半熟卵ができるほどの暑さだ」と「僕」は言ってるし、N・E・BラジオのDJは「ところで今日の最高気温、何度だと思う? 37度だぜ、37度。夏にしても暑すぎる」と言っている。暑さも十分。
でも、夏の太陽のまばゆい輝きと明るさはどこにも感じられない。
架空の作家ハートフィールド「火星の井戸」からの引用。
「太陽はどうしたんだい、一体?」
「年老いたんだ。死にかけてる。私にも君にもどうしようもないのさ」
太陽が死にかけているんじゃ、仕方ないよね……
ハートフィールドの墓碑に引用された、ニーチェの言葉。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」
村上春樹の筆力を持ってすれば、この物語に夏の光を挟み込むことも出来たと思う。でも、この物語はそんなふうには出来ていない。当たり前のように、まぶしい太陽の出てこない夏がここにある。
僕はなんというかな、異議申し立ての小説みたいなのは、あまり好きにはなれないんです。古い話だけど、たとえばカミュの『異邦人』みたいなのね。俺のせいじゃない、太陽が悪いんだ、みたいなのね。
村上春樹は真面目な作家なのだと思う。この言い方で理解してもらえるかどうか分からないけれど、彼は夏の太陽のあの輝かしさを、カミュのようなゆがんだ形で、この小説に組み込みたくはなかったっんじゃないかな。わたしはそんな気がしている。
なぜって?
だって、村上春樹は夏がほんとうに好きな人だから。
『村上朝日堂』からの引用。
夏は大好きだ。太陽がガンガン照りつける夏の午後にショート・パンツ一枚でロックン・ロール聴きながらビールでも飲んでいると、ほんとに幸せだなあと思う。
三ヵ月そこそこで夏が終わるというのは実に惜しい。出来ることなら半年くらい続いてほしい。やはり死ぬときは夏、という感じで年を取りたい。
わたしにとっての夏は、植物たちの季節かな。いきいきと生い茂った緑の葉が、つよい生命を感じさせてくれる。
わたしも夏が好き!
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