村上春樹 「風の歌を聴け」《7》
今日のお天気は晴れ。
おだやかな気候。
村上春樹『風の歌を聴け』《6》からのつづき(1回目はこちら)。
問題はいろいろあるけれど……
エッセイ『村上ラヂオ』からの引用。
時移り今、夕暮れにひとり庭椅子に座って、人生をつらつらとふり返ってみると、僕という人間にも、僕の書く小説にもかなり問題があった(そして今でもある)ことはたしかだという気がしてくる。だとしたら、かなり問題を抱えた人間がかなり問題を抱えた小説を書いているんだもの、誰に後ろ指をさされてもしょうがないよな、と思う。
村上春樹が自分の書いた小説のどこに、どのような問題があると思っているのかは分からないけれど、わたしがこの小説に問題があるとすれば、それはここだと思う。
〈4〉の冒頭、「僕」と「鼠」の出会いが語られるところからの引用。
二人ともずいぶん酔っぱらっていた。だからいったいどんな事情で僕たちが朝の4時過ぎに鼠の黒塗りのフィアット600に乗り合わせるような羽目になったのか、まるで記憶がない。
とにかく僕たちは泥酔していて、おまけに速度計の針は80キロを指していた。そんなわけで、僕たちが景気よく公園の垣根を突き破り、つつじの植込みを踏み倒し、石柱に思い切り車をぶつけた上に怪我ひとつ無かったというのは。まさに僥倖というより他なかった。
だめだめ、お酒を飲んで車を運転してはだめ! それを僥倖(予想もしなかったような幸運)というなら、それは他の誰かを怪我させなかったことだと思う。つつじの植込みだってかわいそう。
こういう表現が時代の気分(この小説の時代設定は1970年代)だってことを差し引いても、わたしは好きになれないな。
もしこの小説を加筆訂正することがあったら(たぶんないとは思うけど…)、ここのエピソードは「車なし」にしてほしい……
わたしの空想だと、このふたりに反省を促す意味で、こんなエピソードはどうだろう。泥酔した2人が歩道わきの川に落っこちちゃう。あまり綺麗じゃなくて、ちょっときつい匂いの川。やわらかな汚泥のおかげで「僕」と「鼠」に怪我はなし。
「大丈夫かい?」と僕は言った。
「ああ、でも飲み過ぎたな」
「立てるかい?」
「引っぱってくれ、足が膝まで埋まっちまったよ」
「ねえ、俺たちはツイてるよ」5分ばかり後で鼠はそう言った。「見てみなよ。あの高さから落ちて怪我ひとつない。信じられるかい?」
僕は肯いた。「でも、服も靴ももうダメだな。ひどい匂いだ」
「気にするなよ。服や靴は買い戻せるが、ツキは金じゃ買えない」
僕は少しあきれて鼠の顔を眺めた。「金持ちなのか?」
「らしいね」
「そりゃよかった」
このあと2人は近くの公園にゆく。そこで汚れた服を脱いでお洗濯、じゃぶ、じゃぶ、じゃぶ。服が乾くのを待つあいだ自動販売機で買ってきた半ダースほどの缶ビールをブランコに乗って、ごくごくごく。
こんな感じでどうかな?
今回は、ちょっと脱線。
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