鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「密会」《14》 愛や希望にむかって

 安部公房『密会』《13》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物は《2》に、あらすじは《3》に書いてあります)。

 『密会』の結末について語ってみよう。

死につづけること

 『密会』をはじめて読んだあの頃も、このいまも、物語の結末についてあれこれ考えつづけている。最後の数行を引用しよう。

 ぼくは娘の母親でこさえたふとんを齧り、コンクリートの壁から滲み出した水滴を舐め、もう誰からも咎められなくなったこの一人だけの密会にしがみつく。いくら認めないつもりでも、明日の新聞に先を越され、ぼくは明日という過去の中で、何度も確実に死につづける。やさしい一人だけの密会を抱きしめて……

 「明日の新聞に先を越され」という失意の感覚が胸に痛い…… 『箱男』のときは、物語の最終章で空間が変容していった。『密会』では時間に奇妙な歪みがあらわれる。文章はたしかにそこで終わっている。でも時間は「明日の新聞」に記述された明日(「ぼく」が認めることを拒んだ未来)を起点にループしつづけ、「ぼく」は明日という過去のなかで何度も死につづける。

 (ひとの「死」を一度かぎりのものと考えるなら、それを「絶望」と読みかえることも可能だろうか。ぼくは明日という過去の中で、何度も確実に絶望しつづける…)

 安部公房は、談話「裏からみたユートピア」で「死につづけることは、死なないことだから……」と語る。また「『密会』の安部公房氏」では次のように語っている。

 今の社会で弱者に希望はないが、その希望のなさに希望をみるよりないように思う。

 (……)

 「死ぬ」ではなくて、「死につづける」なんだ。もし人間に愛とか希望が生まれてくるとしたら、死ぬことではなくて、死につづけることのなかからではないかと思う。

 わたしの愛すべき安部公房がここにいる(そう思う…)。

 安部公房は『密会』の物語を、主人公の死で閉じられた(終えられた)作品にはしたくなかったのだろう。死は「ぼく」を捉える。でもそれは、抱きしめられた密会によって、たえず(失意の)生へと回帰してゆく。物語のエコーは、いまもわたしたちのこころに響きつづけている……

愛や希望の生まれる場所

 「死ぬ」を結果(結末)の記述とすると、「死につづける」は持続する過程の表現といえるかもしれい。そのような場所から愛や希望が生まれると安部公房は語る。死から愛や希望の生へとむかうちからづよいこころのありかたが「死につづける」ことの意味なのだと思う。

 安部公房は、インタビュー「子午線上の綱渡り」で「僕はなぜ書くのか何度も自問自答しました。たぶん絶望もまた希望の一形式だからでしょう」と語る。なにも書かなければ絶望は絶望という言葉のまま終えられていたかもしれない。書くこと(書きつづけること)によって、絶望もまた希望の一形式であることをわたしたちは知る。

 もっと軽やかに、明るさのなかで語られた愛や希望だってあるはずなのに…… (でもどこに?)安部公房は、それを失意や絶望の方から物語る。その暗さにわたしたちが否定的な気持ちにならないのは、安部公房がそこに愛や希望を見ているからだと思う。それは、わたしたちの生にとっての大切な勇気となる(それでも生きてゆこうと思えるなにかがそこに見つけられる…)。

 (愛や希望が明確な言葉として語られていなくても、読者は物語のなかでそれを感じることが出来る…)

書くこと 生きること

 『リベラシオン』のアンケート(1985年)に寄せた「なぜ書くか……」から引用しよう(このアンケートは、1919年にシュールレアレストのアンドレ・ブルトンがフランスの作家たちに「なぜ書くか?」と問いかけたのがもとになっている、1985年『リベラシオン』誌は同じ問いかけを世界の作家400人におこなった)。

 この質問はたぶん倫理的なもので、論理的なものではないはずだ。(……)作家にとって創作は生の一形式であり、単なる選択された結果ではありえない。「なぜ」という問いが「生」の構造の一部であり、生きる理由に解答がありえないように、書く行為にも理由などあるはずがない。

 ここでの回答は、いかにも安部公房らしい。「作家にとって創作は生の一形式」は素敵な言葉だと思う。「なぜ」と問うことが「生」の構造の一部なら、わたしたちのこころが持つ希望や絶望もまたその一部ということになる。わたしたちが「死」について語るときも、それはやはり「生」の構造の一部としての「死」であり、そのようにして語られる「死につづける」は「生きつづける」と同義なのだと思う。

 作家は「書くこと」と「生きること」が互いにつよく結びついている。絶望の物語を書いたとしても、書くことが生きることなら、そこには「生」の構造のなかに含まれる希望も当然のように内在されるだろう。

 つづきを引用しよう。

 しかし論理的にはいささかノスタルジーを刺激する質問である。こういう質問が可能な(解答の当否は別にして)希望にあふれた時代があったことは否定できない。だが積載量過剰のトラックのような時代をくぐりぬけて、作者は失望し、かつ謙虚になった。

 安部公房はいまの時代に、そんなにも失望していたのだろうか(たぶんそうなのだろう…)(わたしのにも失望はあるけれど、それは安部公房のように深くはないと思う、深く失望するほど、わたしはこの世界のことを知らない)。

 ブルトンが「なぜ書くか?」と問いかけた20世紀初頭の「希望にあふれた時代」は、遠い過去になってしまった…… 戦後を作家の出発点とした安部公房は、失意と絶望から物語を書きすすめなくてはならなかった(わたしは、安部公房のそのような創作のあり方を支持しよう)。

 愛や希望は、作家の「書くこと」「生きること」のなかから物語として表現される。その手法はさまざまでも、愛や希望を見つめるひとのこころはいつの時代もかわらないと思う。

 (愛や希望について語るのって、むつかしい。言葉の説明になってもつまらないし… 今回はいつもより、いくらか歌うように語ってみた)

 次回はふたび溶骨症の娘について語ろう。

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