鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「密会」《15》 続・溶骨症の娘

 安部公房『密会』《14》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物は《2》に、あらすじは《3》に書いてあります)。

 ふたたび溶骨症の娘について語ってみよう。

おつかれさま…

 『密会』は「(……)明日の新聞に先を越され、ぼくは明日という過去の中で、何度も確実に死につづける。やさしい一人だけの密会を抱きしめて……」と終えられる。よく読むと(よく読まなくても)ここに、溶骨症の娘は出てこない。密会は相手がいて成り立つものなのだから「一人だけの密会」と表現されるよりも「二人きりの密会」などとする方が自然なように思われるけれど……

 溶骨症の娘が最後に描写されたところを引用しよう。

 もう時計も見えないので、何日たったのかもよく分からない。食料も底をつき、飲み水もなくなった。それでも疲れると、電池を抜いては娘を抱きしめた。娘はめったに反応を示さなくなった。

 「娘はめったに反応を示さなくなった」「一人だけの密会を~」から推測すると、溶骨症の娘は亡くなってしまったのだろうか(さりげない死の暗示のなかに、静かな悲しみがあるよ…)。

 地下の暗闇で「ぼく」に「死につづける」ことの〈生〉が与えられるとき、溶骨症の娘は「ぼく」の抱きしめる「一人だけの密会」(こころの像)となってとなって物語から去ってゆく…… 

 おつかれさま(小さな声でつぶやいてみた…)。

溶骨症の娘は安部公房のお気に入り

 インタビュー「『明日の新聞』を読む」から、溶骨症の娘について語られたところを引用しよう(このインタビューがおこなわれたのは『密会』が書かれた9年後の1986年)。

 こんど読みかえしてみて、僕はあの溶解し収縮していく「溶骨症」の娘がますます好きになってしまった。とくに意地悪な女秘書が、「収縮娘」をクッションがわりにして車椅子に掛けているところがあるでしょう。あそこから急に実在感が強まったな。それまでの多少グロテスクな感じも完全に消えて、娘を抱きしめている主人公の気持ちにぴったりと同化することができた。

 「自作再見『密会』」(1991年)でも溶骨症の娘について語られている。こちらも引用しておこう。

 半分ほど読み進んだところで、やっと溶骨症の少女に出会うことができた。これもぼくのお気に入りのイメージだ。(……)「ぼく」はその幻影の愛玩動物みたいな少女を抱きしめて、ただやみくもに病院の地下の迷路を彷徨し続けた。

 「ますます好きになってしまった」「ぼくのお気に入りのイメージだ」作家(作者)から、こんなふうに語ってもらえる登場人物は幸せだなあと思う(彼女のように語られたキャラを、わたしは他に知らない…)。溶骨症の娘のなにがそれほどまでに安部公房のこころを魅了したのだろう。

「ぼく」と「きみ」の恋愛

 ふたりの恋物語は、「ぼく」が溶骨症の娘を病室から連れ出すことからはじまる。でも、彼女がそれを望んでいたかというと、いくらか微妙なところがある。旧病院へとつづく地下通路で交わされたふたりの会話から引用しよう。

 「何処に行くの」
 「何処に行きたい」
 「もっと明るいところ」

 (……)

 「もう帰りたい」
 「駄目だよ、せっかく逃げて来たんじゃないか」
 「逃げたくなんかないよ」

 『密会』の巨大病院がさまざまな嫌悪に満ちた世界であっても、そこが自分を受け入れてくれるただひとつの場所なら、日々を暮らす病室に愛着を抱くことも分かる気がする(ひとにとっての日常とは、そのようなものだと思う)。

 物語の結末でふたりは地下の閉鎖空間に閉じ込められてしまう。病院都市からの脱出に失敗したことは残念だけれど、「ぼく」の判断や行動が間違っていたとは思わない。でも、彼女からすすんで病室を出たいと言ったわけではないのだから、そこには彼女に対するいくらかの責任がありはしないだろうか?

 湿っぽい地下の閉鎖空間で溶骨症の娘が語った言葉は、たったひと言「さわってよ……」だった。「ぼく」が彼女になにを語ったのか(あるいはなにも語らなかったのか)は分からない……

 助けてあげられなくて、ごめんね。

 わたしだったら、彼女にむかって、こんなふうに語りかけていたかもしれない(これは野暮な台詞だろうか?)。

 『密会』の結末に恋があることは《11》で語った。恋(恋愛)での人間関係は、日常のそれとは少し違ってくる。そこでは「自己」と「他者」の境界が曖昧になる傾向がある(つまり「ぼくがきみのようだったら、きみがぼくのようだったら」「ぼくはきみのもの、きみはぼくのもの」みたいなことですね…)。

 恋がそのようなものだと理解しつつも「ぼく」は32歳で「きみ」(溶骨症の娘)は13歳なのだから、もう少し「ぼく」から「きみ」への心遣いや配慮があってもよいように思うのだけれど…… (「ぼく」の恋は盲目的にすぎやしないか?)

溶骨症の娘と作家の仕事部屋

 わたしはこれから溶骨症の娘について、いくらか奇妙なことを語ってみたいと思う(溶骨症の娘のイメージを展開することで、ふたりが閉じ込められた地下の閉鎖空間と安部公房の仕事部屋を結びつけてみたい…)。

 《13》安部公房の語る軟骨のイメージをご紹介した。そこでは「骨」を「梁」に例えて、ひとのからだについての機能が語られている(溶骨症の娘は骨=梁が有効に機能していない)。安部公房は「対談 大江健三郎」で、自らの創作について「構造が全部抜けた、テントみたいなものから考えるのが好きなんです」と語っている。

 「構造が全部抜けたテント」は、骨=梁が機能しなくなった溶骨症の娘のイメージを想起させはしないだろうか? 溶骨症の娘の幾層もの「襞」は、安部公房の好んだ迷宮=バロックのイメージを想起させはしないだろうか? 溶骨症の娘は魅力的な少女=弱者というだけではなく、それは安部公房の愛した小説世界を似姿として持ってはいないだろうか?

 わたしは奇妙なことを語っているだろうか…… 先をつづけてみよう。

 溶骨症の娘は自らの悲劇的な運命とひきかえに、緋色のふとんになった母親(詳細は《2》を参照)と再会する。それは「詩人の生涯」で、青年を凍てつく寒波から救った真っ赤なジャケツ(毛糸で編んだカーディガン)を想起させはしないだろうか?

 ジャケツは、糸車に巻きとられた母親=糸から編まれたものだった。母親のジャケツは、寒波で凍りついた青年にふたたび生命を与えた。彼はとつぜん自分が詩人であることに気がつく。母親=糸は撚られた詩の言葉ではなかったか? 青年はすべてを凍てつかせる寒波の時代を詩の言葉にくるまり、詩人となって生き延びた。

 母親=糸が詩の言葉なら、「綿吹き病」の母親から摘まれた綿に小説の言葉としての散文のイメージを見ることは出来ないだろうか? (安部公房は様式化を拒む文体=道具としての言葉=散文を愛していた…)

 溶骨症の娘が迷宮=バロック的小説世界の似姿であり、彼女をくるむ緋色のふとんが小説の言葉=散文だとしたら、作家はただそこに恋しているだけでよい(創作はどこか盲目的な恋愛に似ている…)。「ぼくがきみのようだったら、きみがぼくのようだったら」「ぼくはきみのもの、きみはぼくのもの」

 (溶骨症の娘は《13》で語ったように、弱者=怖ろしい声で叫ぶもの=創造の衝動でもある)

 『密会』の物語世界では悲劇的に思われた結末も、作家の視点では違って見える。地下の閉鎖空間は、作家にとって誰からも邪魔されない(世間に干渉されることのない)かぎりなく自由な創作の場となる。それは《10》でご紹介した(他者の侵入を拒むかのような)安部公房の仕事部屋と結びつきはしないだろうか?

 積みかさなった原稿用紙の束を繰る指先は、溶骨症の娘の折りかさなった襞をさぐる「ぼく」の指先ではなかったか? 「さわってよ……」安部公房は物語から聞こえてくる声に求められるまま、執拗に改稿を繰り返した。「ぼく」が抱きしめた「一人だけの密会」は、5年の歳月をともにすごした『密会』の物語ではなかったか?

 それは絶望のなかで語られた〈愛〉の物語ではなかったか……

 わたしは奇妙なことを語っているだろうか…… 「まあ、これは冗談として受け取ってもらってもかまわないんだ」

 次回はわたしにとっての『密会』を語ろう(最終回)。

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