鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

リルケ 「オルフェウスへのソネット」第2部〈12〉

 今日のお天気は晴れ。

 もう4月かあと思う(月日はさらさらとすぎてゆく…)。

 リルケ詩をわたしのイメージと言葉で翻訳する試み(興味のある方のみどうぞ…)。

 ※ わたしの訳はリルケが〈もの〉として展開したイメージをもう一度〈こころ〉の次元に再転換する試みです。原詩(全14行)にパラフレーズするおおくの言葉を差し挟んでいます。

わたしとリルケの距離 翻訳の試み

 安部公房『デンドロカカリヤ』シリーズでは、リルケの作品についてもあれこれと語っている。でもわたしはリルケの作品のよい読者(熱心な読者)ではないので、いつもいくらかのこころ苦しさを感じていた。

 わたしとリルケの距離をもっと近しいものにしなくては…… ということで、リルケの詩の翻訳を試みることにした。でも、そこにはおおきな問題がたちはだかる、そう、ドイツ語-日本語という言語の壁です!

 ということで…… 既存の訳をお手本にしつつ、オンライン辞書とお手軽グーグル翻訳を利用して翻訳にチャレンジしてみた。

Die Sonette an Orpheus, Zweiter Teil XII

 今回はリルケの代表作のひとつ『オルフェウスへのソネット』(オルフォイスに寄せるソネット)から第2部〈12〉に取り組んだ。

 原詩はこんなふう。

Die Sonette an Orpheus, Zweiter Teil XII (1923)

Wolle die Wandlung. O sei für die Flamme begeistert,
drin sich ein Ding dir entzieht, das mit Verwandlungen prunkt;
jener entwerfende Geist, welcher das Irdische meistert,
liebt in dem Schwung der Figur nichts wie den wendenden Punkt.

Was sich ins Bleiben verschließt, schon ists das Erstarrte;
wähnt es sich sicher im Schutz des unscheinbaren Grau’s?
Warte, ein Härtestes warnt aus der Ferne das Harte.
Wehe –: abwesender Hammer holt aus!

Wer sich als Quelle ergießt, den erkennt die Erkennung;
und sie führt ihn entzückt durch das heiter Geschaffne,
das mit Anfang oft schließt und mit Ende beginnt.

Jeder glückliche Raum ist Kind oder Enkel von Trennung,
den sie staunend durchgehn. Und die verwandelte Daphne
will, seit sie lorbeern fühlt, daß du dich wandelst in Wind.

日本語訳 オルフォイスに寄せるソネット 第2部〈12〉

 岩波文庫リルケ詩集』高安国世訳から『オルフォイスに寄せるソネット』第2部〈12〉を引用しよう(詩は要約がむつかしいので、少し長くなりますが全文をそのまま引用させていただきますね)。

変身を意志せよ。おお、焰にこそ心魅せられてあれ、
焰の中、物は変身に輝きつつきみから去ってゆく。
地上のいっさいを統べている創造的精神は
弧を描く図形の高揚のうちに転回点を何よりも愛する。

身を閉ざしてとどまろうとするものはすでに凝固したものだ。
それは見すぼらしい灰色の庇護の蔭に身を安全と思うのだろうか。
見よ、固き物にもさらに遠くから最も固きものが警めを送る。
ああ――。非在のハンマーが高く振り上げられる!

泉となって自らそそぐものだけが、認知によって認められる。
歓びに満ちて認知は彼を晴れやかな被造物の間を導く、
それらはしばしば発端をもって終わり、終りをもってはじまる。

すべて幸福な空間は別離の子供か孫であり、
彼らは驚きの心をもってその空間を通りぬけてゆく。そして変身したダフネは身を月桂樹と感じてこの方、きみが風となることをねがっている。

 リルケの言葉が丁寧に日本語へと移された、ちからづよい訳だと思う(詩の内容を補う言葉の入れ方が微妙なさじ加減になってます…)。

オルフェウスへのソネット 第2部〈12〉

 リルケはひとのこころに関係したことを叙情ではなく〈もの〉に託して歌う。そうすることで、リルケ独特の詩の世界がかたちづくられてゆく。それがリルケの詩の魅力ではあるけれど、そのために分かりにくいところもある(と思う)。

 〈もの〉として展開されたイメージをもう一度、〈こころ〉の次元(その言葉)に転換したらどうなるだろう。そのようなライン(基準線)を設定して、わたしの理解と好みをおおいに盛り込みつつ(特盛りです)訳してみた(ソネットの形式~全14行には、こだわらずに訳しています)(リルケが語りたかったのは、こういうことじゃないのか? 意訳というより、読み換えにちかい仕上がりです…)。

 オルフェウスへのソネット 第2部〈12〉

 いかが? (個人的な試みなので参考の参考ということで…)

 とくに意図したわけではないけれど、わたしの好みで書き換える作業(詩の世界の再構築)をしていたら、通常の訳とはずいぶんと違ったトーンになってしまった…… (このわたしもびっくりな訳です…)

 (これがリルケを通過して、わたしのこころに聞こえてきたオルフェウスの歌だったのだろうか…)

翻訳ノート

 わたしの訳の簡単なご説明。

第1連――この詩の主題である「かわること」が提示される。リルケは詩人なので「創造の精神」に詩人のイメージをかさねて訳してみた。

第2連――かたくこわばったもの(凝固したもの)は、ハンマーで叩けば(簡単に)砕けてしまう。ひとつところに固執して変化を拒むような生き方は、すべきじゃない。

第3連――自分の存在、自分にとっての世界は、他の誰でもない自分が注ぐこころによって明らかになる(他の人が描いた世界に自分を合わせようとしたり、他の誰かに認めてもらおう思うから、ひとは孤独になったり、不安になったりする)。自分のこころ(その根源)を自分にむけてそそぐイメージは素敵だと思う。「それらはしばしば発端をもって~」は禅問答みたいになっているけれど、意味としてはあのようなことだと思う。

第4連――「子供か孫」を存在ではなく、空間=世界のイメージでとらえてみた。きみの変身は、(外見ではなく)こころの世界の変化によって達成される。風はダフネ(月桂樹)と「きみ」の共通のイメージとなって、互いを幸せに結びつける。最後のところはダフネの心情を思い浮かべつつ、あんなふうにしてみた。

 わたしはこれらの作業を、とても楽しみながらおこなうことが出来た。

 リルケ、ありがとう!

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