鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

芥川龍之介 「芸術その他」 山と麓

 今日のお天気は晴れ。

 やっぱり暑いです(初秋の涼しさが待ち遠しい…)。

 この頃は、芥川龍之介をぽつりぽつりと読んでいる。ここ2週間くらいで読んだ作品(再読を含む)はこんなふう。

 ・ 芸術その他(随筆)
 ・ 妙な話(以下小説)
 ・ 黒衣聖母
 ・ 影
 ・ 奇怪な再会
 ・ 玄鶴山房
 ・ 蜃気楼
 ・ 河童
 ・ 歯車

 芥川龍之介の本(文庫本)は少ししか持っていないので、あとは青空文庫近代デジタルライブラリーでの読書(近代デジタルライブラリーは、むかしの本をそのまま読めるところが魅力です…)。

芥川龍之介 随筆集『梅・馬・鶯』

 芥川龍之介 随筆集『梅・馬・鶯』から「芸術その他」(1919)より、コラージュの図(本のタイトル『梅・馬・鶯』は「別に意味のある譯ではない。字面の感じだけを悦しんだのである」とのことです…)。

 僕等が芸術的完成の途へ向はうとする時、何か僕等の精進を妨げるものがある。偸安の念か。いや、そんなものではない。それはもつと不思議な性質のものだ。丁度山へ登る人が高く登るのに従つて、妙に雲の下にある麓が懐しくなるやうなものだ。かう云つて通じなければ ―― その人は遂に僕にとつて、縁無き衆生だと云ふ外はない。

 ※ 偸安(とうあん) 目前の安楽をむさぼること。

 このような語りは、いかにも芥川龍之介らしいと思う(ちょっと格好良い… 素敵…)。

 『河童』(1927)から引用しよう。

 僕は或月の好い晩、詩人のトツクと肘を組んだまま、超人倶楽部から帰つて来ました。トツクはいつになく沈みこんで一ことも口を利かずにゐました。そのうちに僕等は火かげのさした、小さい窓の前を通りかかりました。その又窓の向うには夫婦らしい雌雄の河童が二匹、三匹の子供の河童と一しよに晩餐のテエブルに向つてゐるのです。するとトツクはため息をしながら、突然かう僕に話しかけました。

 「僕は超人的恋愛家だと思つてゐるがね、ああ云ふ家庭の容子を見ると、やはり羨しさを感じるんだよ」

 こちらは読んでいて、やんわりと胸が痛くなってくる……

 語られている対象が「芸術」と「恋愛」の違いはあるけれど、約8年の歳月を経た「懐かしさ」から「羨ましさ」への変遷には、どこか精神の摩滅を感じさせるものがある(胃病で憂鬱にもなりやすかったという河童のトックは、やがて自殺してしまう…)。

 そういえば、高い山に登ることには高山病の危険がつきまとう。あるところまで登り詰めてしまえば、ひと休みするために再び麓に下りることもむつかしくなってしまうのかもしれない。

 トックの語った、平凡ではあるけれどなにかあたたかなものにみたされた(健全な)「ああ云う家庭」(麓=日常)を芥川龍之介は芸術のために見限ろうとした。でも晩年、そこに羨ましさを感じたとしたら、それはとても人間的なことだと思うよ。

 35歳での自殺(はやすぎる死)を残念に思う。『歯車』のその先の物語を読んでみたかったな。

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