鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

三島由紀夫 豊饒の海「春の雪」《1》

 今日も、夜になるとぐっと冷えてきた。

 三島由紀夫 豊饒の海『春の雪』について語ろう。

優美な死と空虚

 冒頭より、女たちの描写。

 藤はいつも花ざかりで、女たちは日ざしを避けて、藤棚の下に集うた。すると、いつもよりひとしお念入りにお化粧した女たちの白い顔には、花の藤色の影が、優美な死の影のように落ちた。

 こういう描写はちょっと好き。

 「死」に「優美な」と装飾されてるいところが三島由紀夫らしい…… 藤色の影は「死斑」を連想させるから、わたしにとってはいくらか不気味で怖いものだけれど、彼にとっての「美」はいつもそのような「死」と隣り合わせ。

 三島由紀夫は「死」に魅入られた作家、そう言っていいのかな。その「死」を彩る文章たちは、月並みな上手さを越えて、華麗で美しい。でも、その「死によりそう美意識」の前で、わたし自身は身構えてしまう。

 正直、ついていけないところもある。

 〈50〉の最後のところ。清顕はこの小説の主人公の青年。

 『お上をお裏切り申上げたのだ。死なねばならぬ』
 清顕は、漠とした、けだかい香の立ちこめる中に倒れてゆくような思いで、快さとも戦慄ともつかぬものに身を貫かれながら、そう考えた。

 なんかすごいよ…… と思いつつも、やはりついていけない。ここにある、空虚な言葉の響きはなんだろう。

 それにしても松枝清顕(まつがえきよあき)には、三島由紀夫の愛を感じた。「死」のふちを見つめ、戯れる「愛」には、やはり「美」が似合うのかな。

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