鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

わたしはこのようにして「豊饒の海」を読みはじめた

 今日のお天気はあまりよくない。

 小雨が降ったり、止んだり。

 三島由紀夫の『豊饒の海』を読みはじめた経緯については、12/26の日記に少し書いた。もう少し詳しく書くことも出来たけれど、なんとなくぼかした書き方をしてしまった。

 「そこで村上春樹さんは、自分のとある小説の冒頭のシーンについてお話しされた」(わたしの見た夢の話です)ということなのだけれど、この書き方で、どの小説のことだか分かったひといるかな? 簡単?

 『羊をめぐる冒険』の目次を見てみよう。「第一章 1970/11/25」「水曜の午後のピクニック」

 1970年の11月25日は、そう、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日。『羊をめぐる冒険』「第一章」からの引用。

 一九七〇年十一月二十五日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。(……)

 我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆んど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。(……)

 「君が欲しいな」と僕は言った。
 「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。

 この小説の登場人物たちにとっては、「どうでもいいこと」かもしれないけれど、作者である村上春樹は、時代の雰囲気を演出するためだけにこのシーンを書いたわけではないとわたしは思ってる(三島由紀夫の死は、この小説の主題のひとつを暗示している)。

 この章の最後のところを引用しよう。

 彼女は笑って煙草を灰皿につっこみ、残っていた紅茶を一口飲み、それから新しい煙草に火を点けた。
 「二十五まで生きるの」と彼女は言った。「そして死ぬの」

 一九七八年七月彼女は二十六歳で死んだ。

 どうだろう、三島由紀夫の『春の雪』を読んだことのある人なら、分かると思うけれど…… それとなく似てるでしょ。

 スーパーのレジに並んで世間話をしつつ、夢のなかの村上春樹さんは、わたしにこんなふうに語った。

 「僕は『羊をめぐる冒険』の冒頭で三島由紀夫のことを少し書いたけれど、あなたも彼の小説を読んでみるといいよ」

 夢のなかのわたしは、その話を黙って聞いていた。「はい、読んでみます」とは言わなかったと思う。夢から覚めたときも、「よし、三島由紀夫を読んでみよう」とは、思わなかった。

 そんなふうに思いつつも、三島由紀夫のどの小説を読めばよいのか、わたしには分かっていた。それは『仮面の告白』でも『金閣寺』でもなく『豊饒の海』。

 そして、その日に出かけた街の本屋さんで「三島由紀夫」と仕切りの入れられた棚を見ると、『豊饒の海』がちゃんとあった。わたしはその本を買った。

 わたしはそのようにして『豊饒の海』を読みはじめた。

 

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