鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

「地下室の手記」と「変身」を読書中

 今日のお天気は晴れ。

 空気がいくぶんからっとして、ツクツクボウシが鳴いている。

 気がつけば、もうすぐ9月……

 いま読んでいる本は、ドストエフスキー地下室の手記』とフランツ・カフカ『変身』。

 どちらも面白い。

 『地下室の手記』は、150ページまで(全体の3/4くらい)まで読みすすめた。いち日に読む量は10~15ページくらい。これくらいのゆっくりとしたペースが、いまのわたしにはあっているみたい。

 10ページほどだと、お話の展開はそうないけれど、それぞれの場面で語られる言葉のどれもが、こころの奥に入り込んでくる感覚があって、なんかいい……

 ドストエフスキーの小説は大きな世界とつながっている、『白夜』を読んだときにそう感じたけれど、この『地下室の手記』を読んでも同じことを感じた。ドストエフスキーって、やっぱりすごい……

 カフカ『変身』は、すでに何度か読んでいる。いま読んでいるのは『カフカ小説全集〈4〉』の池内紀訳のもの。この訳はわたしの好み。全体の2/3まで読みすすめた。

 カフカの小説って、なんとも語りにくい……

 朝、目が覚めたら虫にかわっていた、というのはやはり悲劇だと思う。でも、その描写にはどこか滑稽なところがあって、つい笑ってしまう。

 虫にかわってしまったグレーゴルが、もしひとり暮らしをしていたとしたら、この小説は虫にかわってしまった男の滑稽なお話で終わっていたかもしれない。でも、彼には家族があった。父や母、妹とひとつ屋根の下に暮らしている。

 グレーゴルの虫としての行動が滑稽なものだとしても、家族との関係のなかでは笑う気になれない。なんか悲しいな…… ここには、フランツ・カフカにとってのありのままの世界がある。そんな気もする。

 グレーゴルは、お話の最後に死んでしまう。わたしはそのことを知っている。でも、わたしがページを繰らないかぎり、彼に死は訪れない。最後まで読まなくてもいいかなあ、と思っているわたしがいる。

 最後まで読まないことは、グレーゴルにとって残酷なことだろうか?

 

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