わたしの詩作はこんなふう
今日のお天気は曇り。
気温はあたたか。
こちらの気分はやや不調。なんだか冴えない。こころが、やんわりと冷えてしまった感覚(こういう日もあるよね…)。
詩をつくることについて、少し語ってみよう。そのうち、こころもあたたまってくるかな?
土曜日 夕方
4/25に投稿した詩「ある日のこと歌は歌われた」の着想を得たのは、その前日、土曜日の夕方のことだった。
その日は、電車でひと駅となりの街へ出かけた。4時に予約を入れておいた美容院で髪をカット。5時まえ、いつもは通ることのない街路をのんびり歩いて街を散策。
30分くらい歩いたところで、そろそろ帰ろう思い駅にむかった。低く傾きはじめた日の光に、舗道の木々が美しく輝いて見えた。そんな光景を眺めつつ、なんかいいなあと気持ちがふわふわしてきたときのこと、ひとつの言葉が思い浮かんだ。
鳥が青空を高く飛んだ日
自由でよい!
なんだか素敵な言葉、書きとめておかなくては…… 駅前の大型スーパーがすぐそこだった。言葉の印象が鮮やかなうちに、そちらでメモしておこう。1階エレベーター近くのベンチに腰掛けた。
このようなとき、わたしがメモ書きに使っているのは、コクヨの計算用紙(詳細はこちら)。出かけるときに持ち歩くカバンには、この紙とモンブラン144(万年筆)がいつも入ってる。言葉とそれに関連したイメージをあれこれとメモした。これでひと安心。
よい気分のまま、帰りの電車に乗った。
土曜日 夜
夜、お風呂からあがってくつろいでいると、街でメモしたイメージをもとに詩をつくりたくなってきた。さっそく作業にとりかかろう。メモした言葉をつらつらと眺めた。あれこれ考えているうちに、どうやら「鳥が青空を高く飛んだ日」と「自由でよい!」のあいだに、街の情景を挟み込めばよいということに気がついた。
「並木から~」と「細い街路~」の2行をつくった。はじめ、メモした言葉を参考に「並木を抜けてきた陽光が眩しかった」と書いた。でも、これでは面白くない(どうしたものか…)。しばらく考えて、その情景に「人生」とか「愛」をくっつけてみた。
並木から洩れて届く日の光が人生だった
細い路地の奥へと消えてゆく人々が愛だった
少し面白くなってきた。「鳥が青空を高く飛んだ日」につづく2行目は、
生きることの本能は揺り籠だった
としてみた。これはなかなか素敵な言葉(わたしの好み)。この言葉の意味は、わたしにもよく分からないけれど、生きることの本能が揺り籠のようだったらいいなと思いませんか? だんだんと調子が出てきましたよ……
オレンジの色に沈んでゆく悲しみが故郷だった
ははは、これはどこから出てきた言葉だろう? (故郷についてはよく知らないのにね…)思ってもみないことを詩で語っているわたしがいる。こういうのも詩をつくる楽しみだったりするけれど…… ほかにもいろいろ考えつつ、結局、この4行をあいだにはさんで使うことにした。
つぎに第2連をつくろう。第1連のスタイルを踏襲しつつ作業したけれど、これは上手くいかなかった。第2連はいらない? でも、これで終わりにしてしまうのは、なんだか物足りない…… そうこうしているうちに、ひとつの言葉が思い浮かんだ。
ほら 怪訝な顔をした世界が笑っているよ
世界に笑われてしまった…… (なんだかショック) こころにもないことを書いたのがいけなかったのかな?
よく分からないまま
祭り囃子は夜だった 眼差しが歌だった
すべては自由でよい!
とつづけた。夜も更けてきたので、今日の作業はこれにて終了。
日曜日
翌日、このようにして書かれた詩を数回、読み返した。
うむむ…… なんかおかしい…… よくよく考えみると、おかしいのは第2連の1行目だという気がしてきた。どうやらこの詩は、世界に笑われたのではなくて、第1連の言葉が世界を笑わせたと解釈しないといけないらしい(たぶん…)。
ほら 怪訝な顔をしていた世界が笑いはじめたよ
と変更した。これで、つぎの行の「祭」や「歌」のイメージにも綺麗につながった(と思う)。よかった! 詩の完成です。
わたしの詩作はこんなふう。ほかの方は、どのように詩をつくっていらっしゃるのだろう…… (機会があれば聞いてみたい)
この記事を書きはじめて約7時間が経過した(そのあいだに雑用や食事をはさむ)。わたしのこころもいくらかあたたまってきたみたい。
では、これくらいで、ごきげんよう……