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鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

ドストエフスキー 「悪霊」《7》 第3部 第6~8章

ドストエフスキー

 ドストエフスキー『悪霊』《6》からのつづき(1回目と目次はこちら、このシリーズは全7回です)。

 ドストエフスキー『悪霊』(江川卓訳)は、数日前に読み終えた。ノートをとりながらのゆっくりとした読書は、とても楽しめた(よかった!)。

第3部 第6章 ピョートル

 第3部 第6章「労多き一夜」では、悪事の総仕上げ(?)としてピョートルがあれやこれやと活躍する。ピョートルは、本人がなんの疑問も抱くことなく悪いやつをやっているところが魅力かなあと思う。

 ピョートルは悪いことをやっていても、そこに自己言及的な疑問や疑念が生まれることは、ほとんどない。そういう意味では、ピョートルは悪いやつではあっても(スタヴローギンとちがって)、どこか軽やかなところがある(つまりシンプルなつくりのキャラ)。また、そのような疑念や疑問は、彼のもとに集まった仲間たちによって代弁されているともいえるかもしれない。

 ピョートルの悪いやつキャラに、よりいっそうのユーモアと老獪さのセンスが加われば、わたし好みのキャラなのになあとも思った(まあ、彼は年齢の設定がそれなりに若いので仕方ないかな…)。

第3部 第7章 ステパン氏

 第3部 第7章は「ステパン氏の最後の放浪」とタイトルがつけられている(放浪というには、いささか短い旅ではありますが…)。ここで、わたし達はステパン氏とお別れすることになる。

 ステパン氏、いいですねぇ~ いくぶん道化的なキャラとして活躍したステパン氏ですが、その最後にはなかなか素敵な台詞が用意されていた。せっかくなのでいくらか感動的な彼の台詞をここに書き写しておこう。

 友よ。ぼくは生涯嘘をついてきました。真実を言っていたときにも。ぼくは一度として真理のためにものを言ったことがなく、いつも自分のためにだけで、(……)この世でいちばんむずかしいのは、嘘をつかずに生きることですね、それと……それと、自分の嘘を信じないこと、そう、そう、これですよ!

 このような台詞は、なんともいえず泣けてくる…… (人は自分でも気がつかないうちに、自らのこころを偽りながら生きている…)

 おお、ぼくはぜひとももう一度生きたい! (……)人生の一刻一刻、一刹那、一刹那が人間にとって至福の時とならなければいけないのです。

 (……)人間にとっては自分一個の幸福よりも、この世界のどこかに万人万物のための完成された、静かな幸福が存在することを知り、各一瞬ごとにそれを信じることのほうが、はるかに必要なことなのです……

 ステパン氏は、その眼差しを(あるいはその憧れを)信仰へと向け、その生涯を終える。

 この物語をいちばんよく生きたのは、ステパン氏かもしれない。その言動がどこかコミカルで、いくらか滑稽なものであったとしても、どの瞬間も自らのこころに(その嘘も含めて)誠実に生きたからこそ、ステパン氏は最後にあのような言葉(台詞)を残すことが出来たのだと思った。

 ステパン氏、二度目の読書でまたお会いしましょう!

第3部 第8章 スタヴローギン

 スタヴローギンはこの物語のなかで、もっとも謎めいた人物のひとりだろうか。第3部 第8章「結末」で、スタヴローギンもその役割を終える。どこか静かな印象の残る首吊りによる死だった。

 文庫本の江川卓による解説を読むと、スタヴローギンの死については次のように語られている。

 『悪霊』の真の悲劇性は、このイワン皇子がついに出現しない点にあった。ロシアに伝わる聖母信仰を象徴するような人物マリヤ・チモフェーヴナは、スタヴローギンが真の救世主イワン皇子ではなく、実はたんなる《僭称者》でしかないことを見破ってしまう。(……)こうして彼は、チホン僧正のいう「退屈と無益」の刑を運命づけられ、最後には明晰な意志をもって自殺の道を選ばなければならない。

 なるほど……

 この物語の大きなスケールをスタヴローギンにあてはめると(それを彼に背負わせようとすると)そうなのかもしれないなあと思う…… でもね、わたしはこの解説とは少しちがった読み方をしたので、そのことについて語ってみよう。

 スタヴローギンはその死の少し前にダーリヤ(ダーシャ)に手紙を書き送っている。ここには簡単にいってしまえば、ダーリヤといっしょに暮らしたいという「人並みの幸せ」への憧れのようなものがあり、また彼自身、それがかなわぬものであることを知っている、というようなことが語られている(と思う)。

 愛する友よ、私が推察したとおりの、優しく心広い女性よ! おそらくあなたは、私にあらんかぎりの愛を恵み、(……)その行為によって、ついに私の前に目的を指し示したいと望んでいるのではないだろうか? いや、あなたは用心されるほうがいい。私の愛は、私自身と同様に底の浅いものであり、あなたは不幸になる。

 スタヴローギンについては「スタヴローギンの告白」がお蔵入りしてしまったこともあり、いろいろと思わせぶりだったわりには薄味だったかなあという印象を持っていた。スタヴローギンに捧げられた、このささやかなエピソード(手紙とその死)は、ある意味そんな彼に相応しいものかもしれないと思う。

 人並みの幸せを夢見れたことへの幸せがそこにはあり、その「幸せの幻」に彼は殺されてしまったのだという読み方は、ロマンチックにすぎるだろうか…… (たぶんそうなのだろう… でも、それすらもない死はわたしにとって悲しすぎる…)

わたしの好きな登場人物たち

 《3》で登場人物たちに暫定順位をつけていたので、すべて読み終えての順位も考えてみた。

  1. ステパン氏(やはり彼が1位です)
  2. スタヴローギン(最後の手紙がよかった!)
  3. ピョートル&ワルワーラ夫人(キャラとしてのシンプルな造形がよい)
  4. マリヤ(登場場面が少なかったのがやや残念)
  5. 私(物語の語り役、お疲れさまでした!)
  6. その他のそれぞれに個性的な皆さん

 こんな感じかな……

ドストエフスキー

 読書のためのノートには「ドストエフスキーはすばらしい!」と、何度か書いている。ドストエフスキーの描く作品世界は懐が深くて、読者としてそのなかでいつまでも遊んでいたいと思わせる魅力に満ちている。

 読書をしながらの『悪霊』の感想はこれで終わりです。それでは、みなさんごきげんよう……

 

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