ドストエフスキー 「悪霊」《2》 真実と永遠
12月になったら読みはじめようと思っていた『悪霊』の第2部。なにかと気ぜわしくてなかなか読む気になれず、先日からやっと読みはじめた(といっても、読んだのは60ページくらいだけれど…)。
読みはじめてみると、この雰囲気はやはりわたしの好み。
ドストエフスキー 真実 村上春樹
『悪霊』はノートをとりながらのゆっくりとした読書。そこから少し引用してみよう。第2部 第1章「夜」から、ステパン氏の「真実」についての見解。
ねえ、きみ、ほんとうの真実はつねに真実らしくないものですよ、そうでしょ? 真実を真実らしく見せるためにはぜひとも真実に少しばかり嘘をまぜなくてはならない。人間はいつもそうしてきたわけです。たぶん、ここには、何かぼくらには理解できないものがあるんでしょうね。
ひとまとまりの文章として、奥行き感があって素敵です。真実についてのこのようなことは、むかしから言われてきたことなのかな?
そういえば村上春樹も似たようなことを書いていたのを思い出した。せっかくなので、こちらも引用しておこう。『回転木馬のデッド・ヒート』から「はじめに」より。
もしそれぞれの話の中に何か奇妙な点や不自然な点があるとしたら、それは事実[真実]だからである。読みとおすのにそれほどの我慢が必要なかったとすれば、それは小説[虚構]だからである。
※ [ ]は、わたしの補足です。
こちらの方は、文章がややかたいかな…… (でも、似たようなことが語られているでしょ)
(村上春樹はこの「はじめに」で『回転木馬のデッド・ヒート』に書かれているお話が、あたかも実際にあったことをもとに書かれているように述べていますが、もちろんこれは「嘘」です。村上春樹もまた「嘘」の上手い作家だった…)
ドストエフスキー 永遠 村上春樹
ひきつづき、第2部 第1章「夜」から、ニコライとキリーロフの会話(キリーロフは独特の思想により自殺を考えている)。
ニコライ 「きみは未来の永遠の生を信ずるようになったんですか?」
キリーロフ 「いや、未来の永遠じゃなくて、この地上の永遠の生ですよ。そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、突然時間が静止して、永遠になるのです」
(……)
ニコライ 「時をどこへ持っていくんです?」
キリーロフ 「どこへも持っていきやしません。時は物じゃなくて観念ですからね(……)」
「私」はキリーロフのことを「明らかに狂人」だと言っているけれど、まあそうなのかな…… ロマンチックな「永遠」もあるけれど、このようなところに出てくる「永遠」は、少し怖いな……
こちらも村上春樹の小説に、似たような考え方が登場する。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から「27 百科事典、不死、ペーパークリップ」より「私」と博士の会話。
私 「(……)肉体には限りがあるはずです。肉体が死ねば脳も死ぬ。脳が死ねば意識も終わる。そうじゃありませんか?」
博士 「(……)思念には時間というものがないのです。それが思念と夢の違いですな。思念というものは一瞬のうちにすべてを見ることができます。永遠を体験することもできます」
(……)
博士 「思念の中に入った人間は不死なのです。正確には不死ではなくとも、限りなく不死に近いのです。永遠の生です」
なるほど…… 「生」と「死」、「時間」と「観念(思念)」の関係というのはなかなか面白い。
村上春樹は好きな作家(目標とする作家とも言っていたかもしれない…)としてドストエフスキーをあげているけれど、このような似ているところを見つけると、ちょっとうれしくなる。
(これはドストエフスキーの小説が、おおくの普遍的なことがらを内包していることのあらわれかもしれないとも思う…)
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