鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 小説の技術《1》 書いては捨てる作業

 今日のお天気は雨。

 気温はあたたか。

 「安部公房 小説の技術」の1回目。今回はその執筆のスタイルについて語ってみよう。

夜型と朝型

 『死に急ぐ鯨たち』から、インタビュー「錨なき方舟の時代」より(このインタビューがおこなわれたのは1984年、安部公房は長編小説『方舟さくら丸』執筆中だった)。

安部 急に眠くなってきたな。そう言えば今朝は五時から仕事していたんだ。ちょうど今頃は昼寝の時間でしょう。

―― いつも何時ごろ起きられるんですか。

安部 決まってないね。

―― 全く仕事次第というわけですか。

安部 一般に怠けているときは夜型のような気がする。

 起床の時間を訊ねられて「決まってないね」と答えるあたり、なにやら巨匠の風格…… 人間の自由について考えつづけた安部公房は、その起床時間もまた自由だった…… つづきをみてみよう。

―― では、このところ、夜型にはなれないのですね。怠けられないということですね。

安部 まあ、勤勉です。やはり夜型でなくなった時点で、本格的に仕事に乗れたと言えるのかもしれない。夜は穴掘り作業には向いているけれど、朝のほうが広角レンズで物を見られる。

 「夜は穴掘り作業~ 朝の方が広角レンズで~」朝の方をカメラの広角レンズにたとえるのは、写真を撮ることが好きだった安部公房らしい。わたしの感覚でも、朝の方が思考がクリアで、実際的な作業にむいているような気がする。

 それと同時に安部公房は夜の、こういってよければいっけん非効率な思考(執筆作業)もまた必要としていた。そのようにも感じられる(ここでは怠けていると表現されているけれど、これは一般にいわれるところの怠けているとはちがうと思う…)。

書いては捨てる じっと待つ

 談話記事「安部公房さんに聞く」から引用しよう。

 過飽和食塩水に種を入れて、静かなところに一晩置いておくと核に余分な塩がついて結晶になっていく。頭を拡散した状態においておくと何かの弾みにちょっと結晶ができ始める。(……)最初は書いては捨て、書いては捨てするんですよ。とにかくつらくてもじっと待っている。俗にいうインスピレーションというやつだろうね。もちろん食塩を過飽和まで溶かし込んでいるからできるんだけど。

 ここでの「書いては捨て」は、どちらかというと夜の作業(穴掘り作業)だろうか(どうだろう?)。「食塩を過飽和まで溶かし込む」には、考えることの限界まで自分を追い込むイメージがある。そうすることで、言葉で考えることの、その先にあるなにか(つまり小説)に到達できるのかもしれない。

 談話「おかしくて恐い世界が僕には見える」では、待つことについて次のように語っている。

ある対象が見えてくる。じーっと見ていると、次第にそれが動き出すんだ。(……)対象が動いてくれるまでは、辛いけれど、とにかくじっと待たなければならない。動きが悪いときは、これはどこかおかしいということで、もう一度書き直してみる。(……)あ、やっと動き出した。そこでようやく書きはじめる。

 なるほど…… 対象がいきいきと動き出すまで、じっと待って何度も書き直すということですね。

 安部公房の知的さは、それだけで素晴らしい。それはエッセイや対談、インタビューを読めば分かると思う。そして安部公房の小説は、その知的さを越えるように創作されてゆく(知的な操作だけで小説を書くことに、安部公房は満足しない)。そのようにして生まれてくる作品が面白くないわけがない(そうでしょ)。

 安部公房の執筆スタイルを語るはずが、なにやらまとまりのない内容に…… 今回はこれくらいにしておこう。 

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