安部公房 「箱男」《15》 箱男 予告編
安部公房『箱男』《14》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物とあらすじは《2》に書いてあります)。
長編小説と短編小説の関係
安部公房は書き下ろしの長編小説(単行本)を刊行する前に、文芸雑誌などにその作品に関係した短編小説を発表することがよくある。
『チチンデラ ヤパナ』(1960)→『砂の女』(1962)
『カーブの向う』(1966)→『燃えつきた地図』(1967)
『ユープケッチャ』(1980)→『方舟さくら丸』(1984)
などが有名だろうか(『チチンデラ ヤパナ』『カーブの向う』『ユープケッチャ』は新潮文庫『カーブの向う・ユープケッチャ』に収録されています)。
では『箱男』の場合はどうだったかというと、1971年3月~1972年12月にかけて『波』(新潮社)に「周辺飛行」のシリーズとして、6話ほどの断片的な短い物語(全集ではエッセイに分類されている)が発表されている(単行本、文庫本には未収録)。
- 「物語とは」 周辺飛行1 (1971年3月)
- 「ところで君は」 周辺飛行2 (1971年5月)
- 「これはある職業的関係によって」 周辺飛行5 (1971年11月)
- 「あるいはAの場合」 周辺飛行12 (1972年9月)
- 「箱男 予告編」 周辺飛行13 (1972年11月)
- 「箱男 予告編 その2」 周辺飛行14 (1972年12月)
これら6話のうち5話は改稿(この改稿もなかなか興味深い…)された後、『箱男』に組み込まれている。組み込まれたお話と『箱男』の章との関係を簡単にまとめておこう。
- 「物語とは」→「夢のなかでは箱男も箱を脱いでしまっている。箱暮らしを始める前の夢を見ているのだろうか。それとも、箱を出た後の生活を夢見ているのだろうか……」
- 「ところで君は」→「それから何度かぼくは居眠りをした」
- 「これはある職業的関係によって」→「別紙による三ページ半の挿入文」
- 「あるいはAの場合」→「たとえばAの場合」
- 「箱男 予告編」→(組み込まれず)
- 「箱男 予告編 その2」→「箱の製法」
ここでただひとつ組み込まれなかったのは「箱男 予告編」ということになる。予告編なのに組み込まれていないというのも、いくらか不思議な気がしなくもないけれど…… (「箱男 予告編 その2」は組み込まれているのに…)
《14》に書いたように『箱男』は脱稿の2、3ヶ月前まで、約500枚の作品として存在していた。安部公房が『箱男』の原稿をいつ脱稿したのか正確なところは分からないけれど、『箱男』の出版が1973年3月30日なので、「箱男 予告編」(1972年11月、原稿はそれ以前に渡されていたと思われる…)の頃に原稿500枚→300枚への大胆な改稿(切り捨て)がおこなわれたのかもしれない。
また、改稿がそれ以前におこなわれていたとしても、切り捨てたお話への愛着から、予告編に使ったとも考えられる。どちらにしても、原稿500枚のときに「箱男 予告編」の内容が『箱男』に組み込まれていた可能性は十分にあると思う。
箱男 予告編
それでは「箱男 予告編」の内容を簡単にご紹介しよう(「箱男 予告編」は『安部公房全集〈23〉』に収録されています)。
このお話の登場人物は、箱男Bとその箱男を襲う正体不明の襲撃者のふたり。場所は「急行の停車駅でもひかえた、繁華街の一角」で、時刻は「どんなに雑多な人種が巣くう、街の心臓部にでも、やはり一瞬、無人のときがある」夜明け間際。
襲撃者は火掻棒を手に、箱男Bを背後から襲う。それに対して箱男Bは、手製ブラックジャック(『箱男』にも出てきた鰐の縫いぐるみを改造したもの)で応戦。なかなかスリリングな展開……
だか、それから数秒間に展開された、Bと襲撃者の争いについての詳細は、あえて書かずにおくことにする。なにぶん、まったく人気のない場所で行われたことだし、当事者以外には分かるはずもない。
あらら…… 事件の詳細はつまびらかにされないらしい。では、その結末はというと……
どうやら勝負はついたらしい。切通しにそって、いま上の車道を足早にわたりかけている、箱男の後ろ姿。襲撃者の姿はどこにも見当たらない。(……)鉄柵ごしに切通しの下をのぞいてみよう。案のじょう、消えたもうひとりの姿がそこにある。
なるほど…… 語り手は事件について次のように問いかける。
ところで、やっかいなのは、ここから先の計算だ。いったいどっちが死んで、どっちが生き残ったのだろう。
さて、どっちだろう? 殺害されたのは襲撃者の方? そうかもしれないけれど、そうともかぎらない……
箱男Bが襲撃者を殺害した場合、箱男Bは箱男の特権(?)から、その嫌疑をかけられることはないという(事件は「原因不明の事故による転落死」として決着をみるだろうとのこと)。では、襲撃者が箱男Bを殺害したときはどうだろう。その場合、襲撃者は箱男Bの箱をかぶって逃走したことになる。生き残った方はどちらも同じ箱をかぶった箱男なので、こちらも警察につかまる心配はない(なるほど…)。
たしかに箱は理想の避難所である。箱の外見に変化がないかぎり、内容にどんな変更があろうと、同じ箱男で通用してしまう。本来箱男殺しは、完全犯罪なのだ。そしてBはいつまでたってもBなのである。
面白い!
このお話は、箱男の特徴をいろいろ盛り込んでつくられいて、とても楽しめる。これが『箱男』に組み込まれなかったのは、いささか残念だなあと思う。それと同時に、このお話で扱われているモチーフ(完全犯罪の構図)から、それが本編『箱男』に組み込まれなかった理由もそれとなく理解できる(気がする)。
次回は「箱男 予告編」を参考にしつつ、『箱男』の謎についての仮説を語ろう(このシリーズもいよいよ佳境に…)。
ご案内