鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「箱男」《14》 創作の過程

 安部公房『箱男』《13》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物とあらすじは《2》に書いてあります)。

 『箱男』の謎を探求するには、『箱男』がどのように書かれたのか、その創作の過程を見ておく必要があるように思う。

箱男』は6年の歳月をかけて書き上げられた

 『箱男』は、400字詰め原稿用紙にして300枚足らずの作品だけれど、書き上げるまでに約6年かかったという。《3》でも少し語ったけれど、安部公房は『箱男』について、もともとは「浮浪者の話」を書こうとしていたらしい。

 エッセイ「発想の種子」(新潮文庫『笑う月』に収録)で安部公房は『箱男』のテーマを発想する「最初のきっかけ」について語っている。それによると『燃えつきた地図』のための「創作ノート」のなかに、その最初のエピソードが(なかば偶然に)書きとめられていたという。

 (このノートが書かれたのは1966年頃と推測される… 『箱男』の出版は1973年)

 ノートに書きとめられた内容を簡単に紹介してみよう。

 二人の浮浪者の話。自殺したがっているアル中の浮浪者の訴えを聞いて、仲間の浮浪者がすっかり同情してしまう。(……)二人で適当な死に場所を探して歩く。やっと某所でいい枝ぶりの松を見つける。自殺志願の浮浪者が首をくくるのを、仲間が親切に手伝ってやる。

 (このモチーフは、麻薬中毒で自殺願望があるとされる軍医殿と贋医者のエピソードとも重なるものがあるように思う…)

 安部公房は、この「二人の浮浪者の話」をある時点まで『箱男』に組み込んでいたと語っている(うん? なにやら『箱男』の謎を解く手掛かりのかすかな匂いが…)。

 おまけに二人の浮浪者は、『箱男』の最終稿からは姿を消してしまった。(……)しかし、脱稿する、ほんの直前まで――たぶん二、三か月前まで――ちゃんと独立した章として存在していたのだ。最後に切り捨てた二百枚くらいの原稿の中に、数十枚のエピソードとして組み込まれていたのである。

 そうだったのか……

 つまり『箱男』は完成直前まで、約500枚の作品として存在していたということになる…… これはなにを意味しているのだろう?

 それにしても500枚のうちの200枚(その4割)を切り捨てるというのは、やや乱暴な作業ではないだろうか。このような大胆な「切り捨て」は構成の大きな変更を求められたりもするけれど、『箱男』の場合はどうだったのだろう……

 安部公房の創作スタイルから、200枚を切り捨てた後に(2、3ヶ月の間に)、全面的にお話をつくりかえ、書きかえたとは考えにくい。『箱男』が断片的なエピソード(章)の積み重ねによって構成されていることから、いくつかの章を削除した後、残した章を改稿しつつ再構成して作品を完成させたのでは、ということが考えられる。

 図にしてみるとこんな感じかな……

『箱男』原稿の変遷

 『箱男』原稿500枚から300枚への変遷の図(これはあくまでもわたしのイメージ、推測です…)。

 では、A(500枚)の原稿のとき『箱男』は、どのようなお話になっていたのだろう(これはとても気になるよ…)。

文学作品と探偵小説

 インタビュー「方舟は発進せず」から、文学作品の「文章の大意」と探偵小説について語っているところを引用しよう。

 日本の国語教育というのは、文章があれば必ず「右の文章の大意を述べよ」とくる。あれは困る。(……) ぼくの作品も教科書に載っているんですが「大意を述べよ」といわれたら、ぼくだって答えられない。ひと言で大意が述べられるのなら、小説書かないですよ。

 ここでの安部公房は、文学作品というのは「大意という形で要約できないある原形を提出し、それを読者が体験する」ものだと語っている(安部公房らしい素敵な言葉…)。

 探偵小説というのは読んでいて面白いけれど、すぐ忘れてしまう。あれはなぜかといったら、犯人がわかったらもう終わりなのね。だれが犯人か、その「犯人」が大意を述べよの「大意」だと思うけど。

 (……)

 そこに探偵小説が文学になりにくい事情がある。もちろん例外はありますよ。あるけれどそれは最初から専ら大意を目的に書かれているからですよ。

 なるほど……

 『箱男』が探偵小説の構造(要素)をもちながら「犯人」がわからないことの(あるいは、分からないようにつくられていることの)理由が、なんとなくではあるけれど分かってきた気がする…… (皆さんはどう思われますか?)

箱男』の創作の過程を推理してみよう

 安部公房は『箱男』を「探偵小説と同じ構造」と語っている。そのことから考えるとA(500枚)のお話はストーリーの展開がより「探偵小説」ぽいつくり(よく読めば謎が解けるつくり)になっていた可能性がある。

 でも、安部公房は「なんとなく犯人が推理できてしまう」小説の仕上がりには満足出来なかった(そのような「大意が述べられる」小説にはしたくなかった)。そこで脱稿直前B(決定稿)のように構成を大胆に変更して、犯人(ノートの真の筆者)がほぼ特定できないようにしたうえで『箱男』を完成させたのではないか。

 いくつかの章が抜けることにより物語の真相への手掛かりはますます希薄になり、残した章の改稿も読者をより混乱させる(楽しませる?)方向でおこなわれたのかもしれない…… 確かなことはなにも言えないけれど、いまのわたしは『箱男』の創作についてこのように推理している。

 だとすると、AからBへの変更時に切り捨てられた原稿のなかに『箱男』の謎を解く手掛かりがあるかもしれない…… 「二人の浮浪者の話」のほかに、切り捨てられたエピソードを知ることは出来ないだろうか?

 じつは『安部公房全集』では、それらしい章が読めたりする(『安部公房全集』すごい!)。次回は『箱男』に組み込まれなかった(と思われる)エピソードについて語ろう。

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