鞠十月堂

詩と文学と日記のブログ

安部公房 「箱男」《7》 文章と構成

 安部公房『箱男』《6》からのつづき(1回目と目次はこちら、登場人物とあらすじは《2》に書いてあります)。

 『箱男』の文章と構成について語ってみよう。

文章 センテンスに隠された意味

 『箱男』には、いろいろな謎や不可解なところがたくさんある。その謎について語るためには『箱男』を丁寧に、注意深く読まないといけない(と思う)。

 すべての〈答〉が小説の中にあるとは思わないけれど、その〈答〉のおおくはこの小説のなかに、だまし絵のように隠されているという気がしている(わたしには、そのように感じられる…)。でも、小説の文章を的確に読みすすめることは簡単そうでむつかしい…… (わたしは『箱男』をしっかりと読めているだろうか?)

 『箱男』冒頭の章「ぼくの場合」から引用しよう。

 ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺りまで届くダンボールの箱のなかだ。
 つまり、今のところ、箱男はこのぼく自身だということでもある。箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけているというわけだ。

 シンプルで分かりやすい文章ではありますが…… よく読むとちょっとおかしい。はじめて『箱男』を読んだときには、すっと読んでしまうこの文章も、このお話をすべて読み終えて、もういちど丁寧に読み返したときには、思わず笑みがこぼれてしまう。

 「つまり、今のところ、箱男はこのぼく自身だということでもある」

 自分でノートを書いているのに、その書き出しでこんなふうな表現にはならないだろ~ と思ってしまうのはわたしだけ? (ここは「つまり、箱男はこのぼく自身だということだ」というふうに、あっさり言い切ったかたちに書くのが普通かなあという気がするけれど…)

 「今のところ」という表現は、現在の状況をあらわしていると同時に、未来が現在と同じ状況にはないかもしれないことを示唆している(そうよね)。だとすると、この文章は

 「今のところ、箱男はぼく自身だけれど、やがて、このぼくが箱男かかどうかはわかりませんよ」

 というニュアンスを含むように、わたしには思われる。この「ぼく」は自分でノートを書きはじめておきながら、そこには将来の自分の存在(ノートの記述者としての存在)を否定するかのような表現がすでに含まれている(そして事実、この物語はそのように進展してゆくわけだけれど…)。

 安部公房はさりげない文章の中に、ちょっとした仕掛けをすることを忘れない(わたしの好きな安部公房がここにいる…)。『箱男』を、その謎も含めて楽しむためには、このような文章への感受性が大切になってくると思う。

 インタビュー「安部公房との対話」で、安部公房は『箱男』のことを「サスペンスドラマないし探偵小説の構造」をもった作品と解説している。そのことは、このような文章のスタイルからもうなずける。

構成 複数の話者

 『箱男』の構成上の特徴のひとつに、そこで語っている人物が、それぞれの章で入れ替わるというのがある。これは、一人称で書かれた小説のセオリーからは外れてしまう。なぜそのような書き方がされているのか、談話記事「『箱男』を完成した安部公房氏」から引用しよう。

 バラバラに記憶したものを勝手に、何度でも積みかえてもらうように工夫してみたんですよ。つまり作者にとって一人称のタッチでは手法的に限定があるし、三人称では勝手すぎて作品の信用が薄れる危険がある。そこで両方を自由に繰る方法はないかと考えた結果で、読者にとっては小説への参加という魅力が生まれるんじゃないか……

 なるほど…… (ここでのインタビュアーは、このことを「物語の各章を独立した作品構成」と説明している)つまり、小説全体としてみれば、本来は三人称で書かれるべきお話を(いささか強引に)一人称(あるいは二人称?)で書いたということだろうか……

 『箱男』で使われている一人称はすべて「ぼく」なので、章によっては、この「ぼく」はいったい誰? と戸惑ったりもする(いま語ってるのが誰なのかを推理するのも『箱男』を読む楽しみのひとつかもしれない…)。

構成 それぞれの章と章の微妙な関係

 『箱男』は、いくつものそれぞれ個性的で断片的な章から構成されている。そのため、さっと読んだだけでは、これがどのような物語なのかよく分からないつくりになっている。

 安部公房が「バラバラに記憶したものを勝手に、何度でも積みかえてもらうように工夫してみたんですよ。(……)読者にとっては小説への参加という魅力が生まれるんじゃないか」と語っているように、それらの断片的な章から隠された物語(因果律)を見つけるのは、読者の役割ということらしい。

 『箱男』の物語を楽しむためには、各章の内容はもちろんのこと、その関係を丁寧に見てゆく必要がある。その章についての大切な情報が、ほかの章にさらりと書かれていたりする。

 《2》の補足1に書いたように「供述書」がいったいどのようなものかということは、その章には直接書かれていない。ではどこに書かれているかというと「Cの場合」のところに(それとなく)書いてあったりする。分かりやすく図にすると次のような関係になる。

「供述書」の意味が他の章の記述によって変更される

 「供述書」の意味が他の章の記述によって変更されるの図。

 「供述書」単独では(一般常識から)、A「警察の事情聴取の記録~現実の出来事」というふうな理解になり、それが「Cの場合」の記述によって、B「警察の事情聴取された場合を想定して書いた~空想された未来」というふうに変更される。『箱男』では、このような他の章を含めた理解(部分を全体のなかで位置づけてゆく作業)が大切なってくる(と思う)。

 いっけん無関係に思われる各章も、微妙に関連しあっているようでもある。各章のイメージや内容の細部を丁寧に見てゆくことで、直接語られていない物語を浮かび上がらせることも出来るかもしれない。

 次回から『箱男』の謎解きを語ろう。

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